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自由なわたし~自分で不自由になっていた
息子の中学のPTA本部のメンバーになってしまったことはいまだに恨みがましいことではありますが、それでもこれでよかったんだという思いもあります。この個人的には理不尽ともいえる事態も成長の糧になる、人生がらせん階段を上がっていくようなものだったら、1らせん高いところに上がれるかもしれないと前向きに取り組めるようになりました。
昨日は朝からPTA本部活動で中学校に行き会議をふたつ、午後も雑務やこれから年度替わりで繁忙期が来るので打ち合わせたりで学校を出たのは15時過ぎでした。想定内ではあったので不満も生じず、予定通り自転車でそのまま大宮方面に向かいました。夢中飛行という本棚オーナー制の書店に本を返しに行くためです。
水筒を忘れてとにかく何か飲みたかったので途中にあったコーヒー店に入りました。もはや空腹の感覚もありませんでしたが昼食を取っていない気持ちが渇望しておりしっかりと食べ物も注文していただき、実はまだ読んでいない返却予定の本を読みました。
本へのとびら――岩波少年文庫を語る (岩波新書) 新書 宮崎駿
宮崎駿氏が50冊の岩波少年文庫を選び、その書評を述べたのが冒頭数十ページ。子どもの時に読んだもの、読み直したもの、読んでいないけれど奥様が薦めるもの、50冊の本について宮崎駿さんらしい視点で感想が書かれています。興味深いのは大人になって読んだときの所感が変わるということ。ロビンソンクルーソーはわたしも大好きな本ですが、結局銃を持っていないと成り立たない話であり、銃で世界を従えてきた白人社会を象徴しているともいえることに気付いてしまった、それでもこれは傑作ですなど。
そのあとは宮崎氏にとって読書とはどういうものか、特に岩波少年文庫が同氏の中でどんな存在であるか綴られています。
宮崎氏の素直さがとても新鮮です。難しい本は読めない。何度読んでも同じところで読みやめてしまう本、「評価の高い本だから読むべき」「必ず読了する」などの気負いがなく、読書への敷居を下げてくれる。
クリエイターとしての視点も光ります。挿絵への評価、アニメ化するとしたら、作品化を試みたけれどどうしてやめたのかが書いてあったり、これは未完成に違いないタイトルがイケてなさすぎる、などなど。
岩波少年文庫は海外作品を翻訳したものが多く、翻訳者は石井桃子氏が圧倒的に多く、その訳文に対する評価がわたしには目新しいものでした。
オリジナルの輝きを損なわず、さらに輝かせることのできる翻訳者。今はオリジナルを英語ならば自力で読むことに取り組んでいるのですが、今度は名翻訳者が手掛けた洋書を読んで、そのあと翻訳を読んでみようと思いました。
少女だったからか岩波少年文庫をあまり読みませんでした。子ども向けの本と思っていたけれど、先日講演に行った児童文学者斎藤惇夫さんも岩波少年文庫で育ったそうだし、息子に与えがてら自分も読んでみようと思いました。
1時間以上滞在して夢中飛行に行き、また別の本を借りて帰り道は大きな道の裏道を通って帰りました。車の音がなく魚が焼ける匂いを断続的に嗅ぎながら。
一日の主要な時間を拘束されたけれど、そのあとの自由すぎる時間。
結局だいぶ遠回り、家で待つ性格の穏やかな父子、きっとにこにこと「おかえりなさい」というだろう。以前は時間に焦って申し訳なく思ったりしてたのだけどそれはわたしの問題、手放すことにしたらカフェには行けるしもともと怒りもしない家族に感謝の気持ちが生まれてみんな幸せ。
帰宅して、息子のために借りた本を渡してあげました。
すぐに読み始めた息子、こたつの中で「油断するなよ」と足にいたずら。
長い時間の自転車こぎで冷たくなった足をこたつで温めご飯の支度。
よかった、ありがとう。