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文章の可能性~明け暮れ書き読みいとなみおはす
毎日ブログを書いていると、文で表現することの可能性について考えます。
写真があると一目瞭然のこと、インスタのように写真がないと投稿できないプラットフォームもあるわけで、映像の雄弁さは押しも押されません。
文章で目に浮かぶような描写をする。
写真に頼らないで文字で表現する。
今日は立川にあるたましん美術館へ行き、「源氏物語の新世界」という展示を見ました。
言わずと知れた紫式部による長編小説源氏物語が当時や後世にどのような波及力をもったかが絵巻物、源氏かるたや源氏香、数々の後編によってうかがえます。現代の人にも源氏物語の魅力は伝え継がれています。
紫式部の握る筆から生まれた物語。
その表現は1000年を経ても色あせることはない。
この展示の副題は「明け暮れ書き読みいとなみおはす」、登場人物の玉鬘が物語に夢中になり一日中書き写したり読んだりして過ごすさまの表記が使われています。当時の女性の最大の娯楽。更級日記にもそんな描写があります。文章だけで人々はこんなに楽しみ、夢中になれる。
和歌は歌人の気持ちの瞬間冷凍。音にすることで解凍。
季語が入り、その季語から映像が色鮮やかに浮かぶ。写真や絵がついていなくてもいにしえの人はその画を言葉で伝えてくる。しかもたったの31文字で。
写真を載せなくても文で情景が浮かぶように書けるようになりたい。
そんなことを思いながら本を読んだりすると、自己啓発本はノウハウ本など説明ばかりの文は味気なく、自然や情景描写が多い文学などは多くの人に映像をよみがえらせ、想像力を掻き立てられたり共感させられて長く読み継がれるのだなとわかります。
源氏物語の玉鬘は光源氏とのやり取りの中で物語に自分をなぞらえてみたりして、人生を見て学んでいることを浮かび上がらせます。
文章が織り成すものは無限の可能性を持っている。
「明け暮れ書き読みいとなみおはす」
素晴らしい表現に出会いました。
よかった、ありがとう。