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我が家はこうして教育移住しました/<最終話㉑>不登校から別居・離婚そして教育移住までの記録

突然の不登校、突然の別居でシングルマザーになった親子が辿り着いた「市民立小中一貫校」への教育移住。その4年間の記録をマガジンにまとめています。

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想像していなかった未来

20回に渡り書いてきた、我が家の4年間の記録。
当時小学2年生だった息子が、体いっぱいで伝えてくれたから、我が家の今があります。

社会の当たり前の中で無意識に生きてきた私。今だってその中から抜け出せないことはたくさんあるけれど、ひとつひとつ、当たり前を疑いながら、考えながら、その都度選択していく大切さを知りました。

諦めずに爆発し続けてくれた長男に感謝の気持ちでいっぱいです。そして、本気で向き合ってきた自分をほめてあげたいと思います。

不登校が始まった5年前、真っ暗なトンネルに迷い込んでしまったような私に、こんな未来があることを伝えてあげたいです。

教育移住のその先

移住してきてまず感じたことは、「自分が運営しなくても次男が通えるスクールがそこにある」ことへの感謝。

不登校のその先は、想像以上に道が少なくて、保護者が居場所やフリースクールを始めるケースは私だけではありません。

その裏に、保護者が働き方を変えたり、自分で作るしかない、というところに辿り着かなければいけない理由がその数だけあるのだということも痛感しました。

もっともっと柔軟な選択がどこでもできるようになっていくといいなと心から思います。

市民立小中一貫校という選択

市民立小中一貫校を選択するということは、既存の教育や進学のルートとは異なる価値観の中で、子どもが働き始めるまで育つということ。

どんな力を育みたいからこの選択をしているのか、親もそれなりに考え続けることになります。

学校に行くかどうかは子どもが決めるとなると、当然行かない日もあります。教科学習や宿題はなく、座学は高等部から始まります。中間・期末テストや部活で忙しかった自分の中学時代とは全く違う日々。

子どもの人生は子ども自身のもので、いかに自分と切り離すかを、日々考えさせられている気がします。

ささいなことであっても、自分の経験や価値観と比べてどうこう言うことがないように(ついつい言っちゃうこともあるけど^^;)、家庭でどう過ごすのか、子どもたちとどう関わっていくのか、いろいろやってみては子どもたちと話し合いながら過ごすことを大切にしています。

教育選択をした今、家庭での生活がある中でゆるやかにがっこうとも関わっていけているのがとても幸せです。

公立の学校に通っていた頃は「学校」の比重が大きすぎて、家庭が小さくなっていく感覚がありましたが、今は家庭と学校とのあり方がとてもフラットで緩やかな感じがしています。

今度は自分を大切にする番

こどもたちの教育のことでの大きな心配がなくなった今。私がこれからやることは、私を幸せにすることなのだと思います。

これまで子どもたちの教育環境のために尽くしてきた自分、離婚という大きな喪失体験、それまで暮らしてきた自分の大切な居場所を失ったこと。

いろんなことを精一杯頑張ってきて、今は思いっきり体調を崩してしまっているので、自分をたっぷり労って、一番近くにいる大人が幸せに生きる姿が、子どもたちの目に映っているようになりたいです。

ひとり親としてなんとか稼がなければ、というプレッシャーはあれど、一般的な塾代や教育費は不要なことは本当に助かることです。

シングルマザーの貧困や、子どもたちの教育について、ここまでの価値観チェンジができるのは、日本ではおそらくここだけ。

市民立小中一貫校は、どんな家庭にも知ってほしい教育の選択肢ではありますが、ひとり親にまつわる教育の不安や問題を抱えている人にこそ届いたらいいなあと思います。

移住してきて、体調から外出も難しく、つながりが少ない今。この土地で、ひとり親の市民立移住者のつながりができて、ゆるくつながりながら子育てしていけたらいいなというのが今の私の密かな望みです。

また数年後、こんな未来があったとは!と思えるような自分でいられるよう日々を丁寧に暮らしていきたいと思います。

20回に渡る記録、最後まで読んでくださりありがとうございました!


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