あなたの中の宝石を信じるのに許可なんていらない。BIG MAGIC後編。絵描きの姉。
前回は、BIG MAGICという本について書こうと思っていたのに、インドの話で終わってしまった。
というか実は、BIG MAGICじゃなくて、エリザベスギルバートさんの「食べて、祈って、恋をして」から派生したインドの話で終わってしまった。
(原著も家にある。あれ、表紙変わってるな。)
インド9泊10日一人旅のネタは、尽きることがない。女性×一人旅は色々ある。BIG MAGICに戻る。
一部ではあるが、テッドトークに「創造性を育むには」と題して20分間程度の講演をしている動画がある。創造性を大事にしていたり、気になる方にお勧め。
「だれも私のことなんて気にしていない」
3年前、当時長男の育休中にこの本をこんまりさんのオススメで読んでみたのが最初。何が一番印象に残ったって、最後の、とある名前も知らない男性のエピソード。大体著者の今までの話を書いているにもかかわらず、著者と関係ない男のエピソードが大好きになった。お腹を抱えて笑うほどのヒットだった。
つまり、その時の自分には、そこまで響かなかった。3年前、私が自分で残したブログから一部改変。
今、振り返ってみて。この時響いたこと、読み返したとき気に留めなかった。私、「だれも私のことなんて気にしていない」がきっと自然になっている。
「ものを書く仕事をする!」と決める
またこの本を読んで、「私は、ものを書く仕事をする!」と決められた。勇気をもらった。決めたなんて仰々しいけど。創作活動をするのに、誰の許可もいらない。不細工でも、未熟でも、好きにすればいい。惨めでも、弱くても、何が正しいかなんて分からなくても、自分の湧き上がる想いに素直で良いということ。私の中にも、光るものがあるかもしれないと信じること。何よりもそう思えたことがありがたい。
ちなみに、最後の、とある名前も知らない男性のエピソードは今でも大好きだ。
「自分は場違いかもしれない」と感じた時、今でもあのエピソードが目に浮かぶ。
これからも、たくさん足掻いて、磨こう。書くことは、楽しい。
他の方が書いたnoteを読むのも楽しい。
表現は、文章は、こんなに自由で良いのかと今更思えることの幸せ。
芸術学部に進んだ姉がいる。姉は、高校の美術教師をしながら創作活動をし、今年初めての個展を開催した。
絵描きの姉いわく、デッサンはやればやるほど上手くなる
姉は、「デッサンはやればやるほど上手くなる」と言っていた。
それを鵜呑みにして、私も一時期デッサンをやってみた時があった。あれは大学生になってから。上手になった気がする。確かに。描いていくと、なんでもやり始めると発見があるように、そこでもいくつも発見があった。絵が描ける姉に憧れた。それで単発の油絵教室に一度行ったことがある。なんとなく描いたが、その日帰ると1週間分のやる気を使い切ったかのように身体がぐったりしていた。絵は、私の頭と身体には向いていなかった。目が疲れる。肩がこる。
産業医の資格を昨年取得した。産業医は、働く人たちの環境を治す、のようなあまり一般には知られていないと思われる分野。働く人のために、労働環境を整えていくのだ。働くことで、健康に有害なものを吸い込まないようにとか、腰やその他の身体を壊さないように、等々指南の一助を果たす役割。
もちろんどんな仕事にも健康にかかわる危険が含まれている可能性がある。が、私が絵を本職にしたら、目や体や心の健康に良くないだろう。
でも、絵は好きだ。つまり、私は必ずしも描かなくてよい。私は絵と何かしらでつながれれば幸せなのだ。必ずしも、憧れは、自分が果たさなくてよい。誰かが叶えてくれれば、それも私の夢が叶ったということなのだ。
絵と、文章のつながり。その一つに絵本がある。
私が絵本を作りたいというのは、絵とのつながりたい、という気持ちの一つの表現型だ。
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