【分野別音楽史】#11-2「ヒップホップ史」(後編)
『分野別音楽史』のシリーズです。
良ければ是非シリーズ通してお読みください。
今回はヒップホップ史の後半(2000年代~)になります。
◉2000年代~
◆00年代NYのギャングスタ・ラップ
ニューヨークから生まれたヒップホップは90年代以降、西海岸や南部からもアーティストが現れ始めていました。
90年代に盛り上がったギャングスタ・ラップは、東西抗争が激化し、銃撃事件による死者が出るなど、悲惨な状況となってしまいます。その後は集団での抗争は鎮静化し、個人間の中傷合戦(ビーフ)が盛り上がりました。
ニューヨークでは、ジェイZとナズがメキメキと台頭。2000年代に入り、2人はキング・オブ・ニューヨークの座を巡る激しいビーフで争い、ヒップホップのヘッズたちを盛り上げたのでした。
このように、ストリートでのサイファー文化が盛り上がっていたヒップホップシーンから勝ち上がって登場したのが、ドクター・ドレーのプロデュースによって99年にメジャーデビューした白人ラッパーのエミネムです。「エミネム自身ではなく、二重人格の別キャラが歌う」という設定を用いて、セレブへの過激な口撃や、下品なブラックジョークをラップするスタイルがヒットし、一気に大成功に繋がりました。アルバム、シングルのセールスが計1億5500万枚を超え、世界で最も成功したミュージシャンのうちの1人といわれる存在になっています。
◆サウスの台頭 ~クランクやトラップの発生
一方で、2000年代に入ると、90年代から水面下で目まぐるしく発展していた「南部のラップ」が若者の認知を集めていきました。
南部のラップはリリックの意味よりもビートを重視する「ノリがいい」もので、ニューヨークのラップは「カタすぎる」「マジメすぎる」「東海岸のラップは古くてオトナが聴くようなものであり、若者が聴くラップはサウスだ」というふうな風潮まで作られつつありました。ジェイZがUGKを招いて2000年にリリースした「Big Pimpin’」は、サウスのスタイルに注目が集まるきっかけとなりました。
アトランタで育ったサウンドは「トラップ」というサブジャンルとして呼ばれるようになります。一方、メンフィスで育ったサブジャンル「クランク」は、リル・ジョンによって認知度を獲得。
このような、トラップをはじめとする南部のサブジャンルのサウンドが、10年代以降の新たなヒップホップの重要ジャンルとして台頭していくことになります。
T.I.、ヤング・ジーズィ、グッチメインがトラップ三銃士とされていますが、プロデューサーのゼイトーベンの手腕もトラップの発展に大きく貢献しました。
◆チップマンクソウル
さて、エミネムの大成功に加えて、もう一人、2000年代に登場した重要なヒップホップ・アーティストとして、シカゴ出身のプロデューサーであったカニエ・ウェストが挙げられます。プロデュース業としても成功したのに加え、自らもラッパーとしてデビューし、ポップなスタイルで大成功しました。
カニエ・ウェストが多用した手法が、「チップマンクソウル」です。これは、サンプリング元の原曲のピッチを上げたものを素材として利用する手法のことで、アニメなどでリス(=チップマンク)がしゃべるときにこのように人間の声を上げて吹き込む例が多く、それを連想させることからこの名が付きました。チャカ・カーンの「Through The Fire」のピッチをあげたものにラップを乗せた「Through The Wire」は特に有名です。
他に00年代初期、NYには50セントというラッパーが出現し、長けたマーケティング手腕で躍進していました。
従来のギャングスタ・ラップスタイルの新世代である50セントと、革新的なサウンドを実験していった新世代カニエ・ウエストはトップ争いのムードとなっていきましたが、お互いの3枚目のアルバムの売り上げでカニエが勝利したことから、ギャングスタラップの時代はいよいよ終了していき、新機軸のカニエの時代へと風潮が傾いていきました。
◉00年代末~10年代前半
◆エレクトロサウンドの導入
2000年代後半、特にカニエ・ウエストやT-ペインは、ピッチ補正ソフトであるオートチューンを積極的に使用していくことで、新しいサウンドを提示しました。カニエ・ウエストはさらに、当初のジャズやソウルのサンプリングからは徐々に距離を置き、ダフト・パンクなどのエレクトロサウンドを取り入れるなど、クリエイティブの面で新風を起こしていきます。
カニエ・ウエストは、2008年のアルバム「808s & Heartbreak」の成功によって音楽界にインパクトを与え、現在では「このアルバムが今のアメリカのヒップホップおよびポピュラー音楽を支えている」という風説まであります。ヒップホップサウンドとしては賛否両論渦巻く問題作とされましたが、これをきっかけにラップと歌の境界線が揺らぎ始めたのでした。
カニエに続く流れとして、キッド・カディやビッグ・ショーンが登場し、後のオルタナティブR&Bのサウンドにも影響を与えていきました。
◆インターネット発の多くのラッパーの成功
この時期になると、YouTubeやDatPiffといったサービスが登場し普及したことから、ヒップホップの伝わる場がストリートからインターネットへと移行していきました。それを決定づけた事件が2つあります。
T.I. やグッチメインらのブレイクを後押ししたとされるプロモーター、DJ ドラマのミックステープが著作権法違反で逮捕されてしまったことで、それまでグレーゾーンだったミックステープの規制が厳しくなり、露店のミックステープが押収されていき、ネット上のミックステープサービスのDatPiffなどへ場が移行していった。
アトランタのラッパー、ソウルジャボーイが当時高校生ながらネットでバズを起こして注目された。タイトル詐欺で釣ってクリックさせ、冒頭からキャッチーなサウンドと自分の名前のアピールで覚えてもらい、さらに事前に振り付け動画も公開しておくといった作戦が成功し、社会現象にまでなった。無名からバズを起こして成功するパターンは、レーベル側としても売り上げの保障が見込める安心感によって、ネットから新人を発掘する発想が生まれた。
こういった流れを受け、ヒップホップは10年代にかけてさらに多くのラッパーが台頭して勢いを増していきました。
ニューオーリンズのリル・ウェインは先に曲を大量にネットに上げまくって期待値を上げることで、2008年のメジャーデビューアルバム「ザ・カーター3」はカニエ・ウエストを超す売り上げとなりました。
続いて登場したのがドレイクで、2009年にミックステープ「So Far Gone」をインターネット上に無料公開したことも話題となり、2010年にメジャーデビューとなります。ドレイクとともに、次世代のヒップホップを牽引するリーダーが続々と登場します。エイザップ・ロッキー、ケンドリック・ラマー、Jコール、らが挙げられます。
◆クラウドラップやトラップの発達とマンブルラップ
フロリダなどサウスのアンダーグラウンドシーンでは、ヒップホップグループのレイダークランが登場し、スリー・シックス・マフィアのクランクのサウンドがドロドロとLo-fi化したような「フォンク」というスタイルが出現しました。
芸能人のTwitterにリプを飛ばしまくるなど、炎上・バズを狙うことで成功したのがリルBです。音楽はサウンドクラウドにアップされて流行し、このような出自のラップは「クラウド・ラップ」と呼ばれました。ヒューストンに由来するドロドロした雰囲気に、アトランタのトラップが掛け合わされたサウンドはプロデューサーのクラムズ・カジノによるもので、こちらもオルタナティブR&Bに影響していきました。
一方、アトランタではトラップの開発がますます進み、プロデューサーのレックス・ラガーが、ワカ・フロッカ・フレームのデビューアルバムを手掛け、重厚感のあるシンセと高速のハイハットのサウンドが人気になりました。
レックス・ラガーは、同じくプロデューサーのサウス・サイドと一緒にプロダクションチーム「808マフィア」を結成します。これが、ゼイトーベンと並ぶアトランタのトラップ生産の核となる組織になります。さらに、マイク・ウィル・メード・イットがヒップホップだけでなくメインストリームのアーティストもトラップビートを使って手掛けたことで一気に広まり、「アトランタのトラップ」というブランドが成立していきました。
トラップが広まると同時に、ヒップホップ史上最悪の影響を与えたと言われるフューチャーが登場しました。
T.I.やグッチメイン、ジーズィーといった初期のトラップと違い、より“普段聴き”しやすいサウンドと、もごもごして聞き取りにくい「マンブルラップ」というスタイルで、一気にラップの新しいスタイルを提示しました。「ドラッグのせいで呂律が回っていない」ということに加え、「そもそも南部のなまりで聴きとりづらい」という背景もあり、マンブルラップが誕生したとされます。
フューチャーの影響によってダウナー系ドラッグの使用が急増してしまいました。
サウスのラップの重要要素として、合いの手(=アドリブ)があります。もともとヒップホップに存在していた要素ですが、特にメンフィスのクランクでリル・ジョンやスリー・シックス・マフィアが重要視し、サウスに根付いていました。
そして、2010年前後に、アドリブが特徴的な曲がヒットしていったのです。先に挙げたグッチメイン、ジーズィー、ワカ・フロッカ・フレーム、フューチャーに加え、ヤング・サグ、ミーゴス、そしてシカゴのチーフ・キーフが挙げられます。
◆ドリルミュージック
アトランタのトラップの広がりは特にシカゴに大きく影響しています。ワカ・フロッカ・フレームの2010年の「Grove St. Party」という曲は各地のクラブでかかりまくり、シカゴのクラブでも流行した結果、シカゴ・ドリルというサブジャンルが誕生しました。
ドリルはギャングの間で生まれた、抗争に関する過激なリリックと、ダークなトラップビートが特徴だとされます。ヤング・チョップらによってトラップがアレンジされてドリルのビートが誕生し、フレド・サンタナ、リル・リース、リル・ダークといったドリルラッパーが活躍しました。
ドリルは海外に届いてUKドリルやオーストラリアドリルへとなり、それがアメリカに戻ってきてブルックリンドリルにも発展しました。リル・ダークはドリルにオートチューンを持ち込み、最終的にメロディックなシカゴドリルの形を提示しました。
シカゴからはさらにチャンス・ザ・ラッパーが登場しました。グッズ制作、ライブ運営などをすべて自分たちでこなし、レーベル契約をしないインディペンデントで成功し、サウンドクラウドでファンを獲得しました。このケースよってレーベルの必要性が低下していきました。さらに、「ネット上では聴かれまくっているのにグラミー賞にノミネートされないのは何故だ!」という広告を打ち、ここからグラミーはネット上の無料公開作品も考慮対象に入れられ、再生回数なども判断材料にするように変化しました。こうして、ネット発のアーティストにさらにチャンスが広がっていったのです。
◉10年代後半
2010年代後半、ヒップホップはオールドスクールとは違う新しいものへと完全に変化しました。同時に、ヒップホップの定義は曖昧化しながらも大量の新しいリスナーを獲得し、21世紀のアメリカを象徴する最大級の音楽ジャンルの地位をとうとう獲得します。
従来のギャングスタラップの血を受け継ぐラッパーとしては、ケンドリック・ラマーやYG、ニプシーハッスルなどが新世代で活躍していましたが、「男らしさ」が価値であったギャングスタラップは、時代の潮流によってさほど注目されなくなってきていました。
一方、フューチャー、ヤング・サグ、ミーゴスらに代表されるアトランタの勢いはますます増加していきます。南部のなまりと、ドラッグの影響によるモゴモゴとした聴き取りにくいラップスタイルは「マンブルラップ」と呼ばれてブームになっていましたが、2015年以降、フューチャーに影響を受けたであろうマンブル・ラッパーたちが急増しました。
リッチ・ホーミークアン、21サヴェージ、2チェインズ、アイラヴマコーネン、リル・ヨッティ、プレイボーイ・カルティらが一気にブレイクしたことで、リズムマシンの808の音色が特徴的な、太いキックと高速ハイハットのリズムが特徴的なアトランタ発の「トラップ」というジャンルが、一時的な流行ではなく、完全にインフラ化されたスタイルとしてヒップホップの土台となったのです。
プロデューサーもトラップ初期から活躍するゼイトーベンや808マフィアに加え、メトロ・ブーミンが大量にヒット曲をプロデュース。さらに、ロンドン・オン・ダ・トラック、ブッダブレス、ソニーデジタルといった若手も登場しました。曲の冒頭に入るお決まりの名刺フレーズのような「プロデューサー・タグ」を入れることが流行ったことで、ラッパーと同じようにプロデューサーもスターのような存在になっていきました。プロデューサー・タグは、マーダ・ビーツ、ピエール・ボーン、ジェットソンメイドらが特に活用しました。
南部のサウンドからの広がりとしては他に、トラヴィス・スコットがプロデューサーのマイク・ディーンとともに、「ダーティーサウス」から派生させた「サイケデリック・トラップ」というジャンルを広めて成功しました。マイク・ディーンはカニエ・ウエストとも一緒にサイケデリックなヒップホップを生産していましたが、トラヴィスは南部出身ということもあり、カニエと違ってトラップの要素も取り入れたことで、同時期のトラップブームに合流した形となりました。
フロリダのアンダーグラウンドシーンから登場したXXXテンタシオンらのサウンドも衝撃を与えました。ひどく音割れしたサウンドと、過激なリリックが物議を醸し、一部から叩かれながらも若者からカルト的人気となりました。「カニエ・ウエスト=華麗、XXXテンタシオン=粗雑」という対比がなされるほどとなります。ここから、フロリダ発の音割れしたクラウドラッパーたちが次々登場します。ブームの火付け役となったのが、フォンクのレイダークランに所属していたデンゼル・カリーです。さらにボーンズ、ザビエル・ウルフらもこのようなサウンドの元祖とされ、そこからリル・パンプ、スキー・マスク・ザ・スランプ・ゴッド、スモークパープ、コダック・ブラック、バッド・ベイビー、ワイファイズフューネラルなどが登場しました。
XXXテンタシオンはニルヴァーナのカート・コバーンに影響を受けており、グランジの鬱的なリリックや曲のコンパクトさもXXXテンタシオンの音楽の特徴に現れました。それまでのラップのようにドラッグの売買の問題の話などではなく、使用中のことを歌っていたり、自殺などの負のパワーが全開となった悲しい音楽が「エモラップ」と呼ばれるようになります。鬱屈としたLo-Fiなサウンドは、「LoFiヒップホップ」というムーブメントにもつながりました。
一方、「エモロック」からの影響を受け、ロックのサンプリングなどを多用したリル・ピープが登場します。「Awful Things」という楽曲がヒットし、こちらも「エモラップ」と呼ばれるようになりました。
ところが、サウンド面でLo-Fiだった「XXXテンタシオン」と、サンプリング面でロックサウンドが特徴的だった「リル・ピープ」という、異なる方向性の音楽が同時期に出現し、双方がともに「エモ」というキーワードで表されたことで、曖昧な定義のまま「エモラップブーム」が起こってしまい、大量の「エモラッパー」が出現してしまいました。中でも代表的なのはポスト・マローンやリル・ウージー・バートらが挙げられます。
多くのラッパーがサウンドクラウド上に発生していった背景には、「タイプビート」の出現が挙げられます。PC上で簡単に音源からMV制作までを自己完結で制作できるようになった時代、多くの新米ビートメイカーらが、「○○っぽいビート=タイプビート」をアップするようになりました。誰でも良質なビートを見つけてラップを乗せることが可能になり、多くのアマチュアがサウンドクラウド上にアップするようになっていたのです。
タイプビートを売って有名になったプロデューサー集団が、インターネット・マネーです。また、そのようなタイプビートを使って台頭したラッパーの成功例として、ジュース・ワールドが挙げられます。ジュース・ワールドの登場以降、多くのメロディック・ラッパーが出現しましたが、多くは一発屋のような存在であり、「インダストリー・プラント」と揶揄されました。無名なのにいきなり大物とコラボしたり、大ヒットしたのちにすぐ消えていくなどの状況が巻き起こるようになっていました。
ネット上に未知のジャンルが大量発生し、ヒップホップの定義は曖昧になりながらも、多様化によって大量のリスナーを獲得したヒップホップは、アメリカの音楽シーンを席巻する最大級の分野となったのです。
エモラップ、サウンドクラウドラッパーの動きは加速し、2018年にはヒール役としてシックスナインが登場。叫ぶスタイルの「スクリーモラップ」と、派手な見た目や話題性でSNSをジャックしました。コメダジンは、タイトル詐欺の手法でサウンドクラウドを攻略し、ヒット。チカはカニエ・ウエストへのdisが話題となり、ヤングボーイはYouTubeで成功しました。
このようにネット戦略がますます重要になった時代ですが、この時期新たに出現したTikTokのブームにより、ヒットはますます予測不可能の時代に突入します。TikTokで使用してもらうために曲の長さを調整したり、サビをキャッチーにするなどの工夫が音楽側でも発生しましたが、逆にTikTokのおかげでそれまで無名だった音楽が突如ヒットするなどの状況も発生していました。
そうした状況下で考え抜かれて生き残ったのが、リル・ナズ・Xだといわれています。ラッパーとして活動する前からニッキー・ミナージュのファンアカウントで活動していましたが、ラッパーとしてはカントリーラップの分野で成功しました。
Instagramのストーリーにて楽曲をリリース前に先出しする「スニペット」という戦略も生まれ、カーディBなどがこれを活用しました。また、ラテン史の記事でも触れた通り、カーディBの『I Like It』という楽曲ではラテン・サルサのサンプリングが導入されてヒットし、ブラックミュージックのルーツとしての「ラテン」に注目が集まっていることがわかる例となっています。
アジア系のラッパーも登場し、韓国のキース・エープが日本人のコーとルータとともにリリースした「It G Ma」が評価されました。
これを受け、アメリカに88ライジングというアジア系のプラットフォームが発足しました。インドネシアのリッチ・ブライアンが所属し、「Dat $tick」がバズとなっています。
2010年代末になると、ブルックリン・ドリルが再び人気となり、ポップ・スモークが大ヒットとなりました。
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