ダイエットの向こう側は、不食という世界
「不食という生き方」からの思考
2021/8/15
ダイエットどころの騒ぎではない。食事を減らすんじゃない。カロリーを制限するんじゃない。もはや、食べない。
科学的根拠があるわけではない。科学は万能じゃない。科学は実験によって、再現可能か否かである。すべてに万能なわけじゃない。
万人にできることじゃないかもしれない。でも、「一部の人には可能である」という知識である。
「食べないと生きれない」という常識を捨てるための知識である。
もはや、事実かどうかすら、問題ではない。思考の幅を拡張するための本である。
新しい価値観を導入するコトで、すべての常識を疑う思考力を養う。
実際のこの知識をインストールしてから、自分の時間の中で、食事関連の時間が大きな割合を占めていることを認識した。
自分の生活の中での時間
食事の買物や調理、そして、食事する時間だけでなく、食事のことを考えている時間
そして、食事による消失は、時間だけではなく、制約も受けている。
自分の生活の中での制約
昼と夜にご飯を食べるという生活をしているので、ご飯を食べるために、作業を中断したり、場所を移動したり、家に帰らなければならなかったりと、様々な制約を受ける。
確かに、食事によって、私たちは、たくさんの時間を費やし、制約を受けている。
しかし、忘れてはならないのは、食事にはお金がかかるのだ。食事をするためには、お金を稼がなければならない。だから、働かなければならない。
私たちは「食事をしなければ生きられない」という恐怖に支配されている。
だから、死ぬまで働く。過労死するまで働く。自殺するまで働く。
もし、不食が実践できるなら、寝床さえ確保できれば、もう、働く必要はない。
「不食」という生き方は、自由への切符のひとつである。
不食という生き方があるのならば、食事は不要であるならば、食事はドラッグだ。
1日3食だから、不健康に太ってしまい、仕事の効率も上がらない
簡単に安く手に入って、脳からドーパミンを放出させることができる。すぐにキメられる。
そして、湯浅は食事というドラッグを作るの取るのも好きだ。
だから、別に「不食」をやるつもりはない、今のところは。
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