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世界を曖昧に見つめてきた弊害

人生では、ありとあらゆる物事に触れる機会がある。私は何か物事に触れるとき、明確に区別をつける必要に迫られていない場合であれば、その差を特に気にしないで生きてきた。
スマートフォンを起動し、YouTubeで音楽を聴こうとしてPayPayを開くことが頻繁にある。今日だけでも2回やった。アプリのアイコンが赤と白で構成されているところにしか意識が向いていないせいだ。
小松菜とチンゲンサイとほうれん草の区別をしないまま食べている。どれも美味しい葉っぱだ。
きょうはずっとスクリーンで観たいと思っていた「海底軍艦」という映画を鑑賞しに行った。1963年に公開された特撮映画だが「午前十時の映画祭」で4Kリマスター版が現在公開中なのである。大変おもしろかった。
古い映画なので「ネタバレ」に配慮するのはおかしいのだけれど、ここであらすじを細かく追って言及することは避けておこうと思う。細かいことを気にするとキリがないくらい不可思議な描写も多いけれど、それを脇に積み上げたまま楽しめる冒険活劇として大変よくできている。ぜひ皆さんにも自分の目で見ていただきたい。
さて、ここで表題の話に戻る。自分を中心として広がっている世界のありとあらゆる物事をぼんやりと捉えている私は、鑑賞後にシアターを出ながらふと思った。「この“海底軍艦”って軍艦なの?潜水艦なの?」
映画を観ていただけると分かるが、正直よく分からない乗り物なのだ、これ。私がいい加減に物事を捉えているのも区別がついていない理由の一つではあると思うが、この「海底軍艦」の場合はとんでもない問題が存在する。
先ほど、あらすじを細かく追うことは避けると書いたので、ひとまず一点だけ重要なネタバレを簡単に述べておく。「海底軍艦」は空を飛ぶ乗り物である
これは一体なんなんだ。本当に一体なんなんだ。

※この記事に使用している写真は著者が撮影したもの。被写体は広島県の宮島水族館のスナメリ。

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