日本最初の哲学書となる西田幾多郎「善の研究」を読んで#98
友人と桜の名所の話題で、哲学の道が出て、西田幾多郎を思い出し、長らく積ん読になっていた代表作「善の研究」を寝かせていた本棚から手にとった。
難解な哲学書とあって、当時購入した私には難しかったが、今手に取ると、理解できていないところはあるものの、わかるところも多くなり、内容はあまりにも面白く、私の瞳は彼の文章に釘付けになり、夜、睡眠さえもとらず読み切った。
思えば、私は西洋哲学に触れて、日本の哲学にはそれほど触れてこなかった。日本には日本固有の文化的、社会的な背景からくる哲学があって当然で、日本人が探求した哲学を触れずにいるのは実に寂しいことだ。
本作は日本最初の本格的な哲学書として認知されている。
私自身も日本の哲学者といえば、いの一番に西田幾多郎の名前があがるし、西田の教え子に三木清、西谷啓治らもあがることなども踏まえて、西田から日本の哲学が始まったといえる。
西田哲学に流れるもの
「善の研究」の中で、西田の使う「善」は、一般的な善とは少し違う。
「善とは、一言にていえば人格の実現である」とあり、いわばこれは、私からすると、発達理論の書籍に思う。
「善の研究」の内容は、発達理論でいえば、ターコイズ段階(スザンヌでいう構築自覚的段階)とインディゴ段階(スザンヌでいう一体的段階)の世界観が如実にでている書籍に思う。
これを言語をもって表現できるということ自体、西田が、ターコイズからインディゴ、あるいはそれを超える段階にいたのだろう。
いくつのときに著しているかというと、調べると西田が41歳だった。
驚いた。あまりの驚きに、今コレを書いている瞬間も、私の心臓の鼓動が早くなる。
構成は以下。
第一編 純粋経験
第二編 実在
第三編 善
第四編 宗教
形而上学、存在論、倫理学の論点で西洋哲学を押さえながらも、禅の思想が色濃く有り、西洋思想と東洋思想を統合させた作品といえる。
西田が禅に打ち込んだのはいつなのだろうかと調べると、驚くことに高校の同級生に、鈴木大拙がいた。とても苦労多き人生で、それゆえに禅寺に入り、20代後半から徹底的に修行したようだ。
これを踏まえると、本書籍は、インテグラル理論とも近いものがあり、東洋と西洋、主観と客観、精神と物質などをいかに統合できるか、高次のメタ認識をもって書かれたものになる。
高次の発達段階
さあ、あまりにも線を引いたところが多く、何から書こうか。
まずは発達段階に合わせた世界観に触れたい。
本書籍が、ターコイズやインディゴ段階のように感じる箇所を載せておきたい。
「善」について以下のような言葉がある。
この人格の要求とは、意識の統一力であるとともに、実在の根底における無限なる統一力の発現である。
善とは、一言にていえば人格の実現である。これを内より見れば、真摯なる要求の満足、即ち意識統一であって、その極は自他相忘れ、主客相没するというところに到らねばならぬ。外に現れたる事実として見れば、小は個人性の発展より、進んで人類一般の統一的発展に到ってその頂点に達するのである。
終に臨んで一言しておく。善を学問的に説明すれば色々説明できるが、実地上真の善とはただ1つあるのみである、即ち真の自己を知るということに尽きて居る。我々の真の自己とは宇宙の本体である。真の自己を知れば、啻に人類一般の善と合いするばかりでなく、宇宙の本体と融合し神意と冥合するのである。宗教も道徳も実にここに尽きて居る。而して、真の自己を知り、神と合する法はただ主客合一の力を自得するにあるのみである。
どうだろうか。震える文章だ。(この発言が変態)。
発達というのは、差異化と統合によって一段上がっていく。
何か二分化されていたものが統一され、より抽象度高く、大きなものを統合できるようになっていくと、一に近づく。
そして、「主客合一」すごくしっくりくる言葉だ。
ロバート・キーガンの主体客体理論は、主体の縮小と客体の拡大プロセス、あるいは主体から客体への移行と述べており、たしかにそのとおりなのだ。
しかし、それを続けていくうちに、ターコイズ段階にあたる構築自覚的段階で、そもそも主体と客体という二分化自体、自分の意味構築活動によって起こっていることに気付く。
実在の根底には一であるが、境界をつくってしまうのが人間であることを認識する。
そして、宇宙や神という大きいなるものとつながる、一部であるという感覚をもつ。
そのようなことが上手く表現されているように思う。
純粋経験と実在
また本書の面白いところは、実在だ。
実在とは、現実そのままのもの。
しかし、私たちが、ひとたび判断や言語によって、実在とは違う単純化されたものにされてしまう。
ゆえに、西田は「純粋経験」をせよといっている。
「純粋経験」とは、自分が言葉にする前で、判断する前の、経験。
判断する前というとあまりに刹那的だが、その純粋経験によって実在にふれよと言っている。
コーチングもまさにコーチクライアントともに実在に触れていくことが重要だと思う。
人間が言葉にしている時点で、実在とかけ離れている。
何かその個人固有の解釈がはいって歪められている。
だから、思考のみならず、五感、感情、すべてをつかって、なるべく純粋経験に近づけ、実在そのものにふれていくことで、新しい認知が起こる。
私は自分が生きるにあたって、今を味わうこと大切にしたい。
それは、今目の前のことを常に新しいものとして触れ、そのもの味わうことで、それは言い換えれば実在に触れるということなのだと思う。
まだまだわからぬところもあった書籍ゆえ、いつかまた読み返したいと思う。素晴らしい名著に出会えた。
2021年3月20日の日記より
2021年3月22日
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