古代の薩摩940年 #53
第二部 弥生時代 神武天皇東征出発!
西暦57年、奴国が後漢に朝貢していたころ、畿内では朝鮮半島から逃れてきた朝鮮の旧王朝一族の長髄彦(ナガスネヒコ)なる人物が武力を背景に勢力をのばそうとしていた。その傍若無人(ぼうじゃくぶじん)ぶりに庶民は苦しめられていた。日向の国には塩土老翁(しほつちのおきな)から、情報がもたらされた。
神倭伊波礼昆古命(かむやまといわれひこのみこと=神武天皇)は3人の兄とともに日向を出発、しかし兄の五瀬命(いつせのみこと)が長髄彦との戦いで受けた矢傷がもとで死に、続いて稲飯命(いないいのみこと)と三毛入野命(みけいりののみこと)が熊野に渡る航海中に嵐に遭って死んでしまう。3人の兄を失い一人になった神武天皇だったが、さまざまな苦難を乗り越えて長髄彦を倒し、大和政権の樹立に成功する。そして初代天皇として即位する。
一方、薩摩にも出雲から救援要請がもたらされてきていた。長髄彦は出雲にも勢力を伸ばすべく降伏を要求してきていた。この時の薩摩の16代国長(やはり名前は必要と言うことで=くにおさ)は山田誠一。13代隼軍団の隊長は林久武。こちらだけはずっと林一家が引き継いできている。副隊長は船団も率いている李市松と蘭夫妻から数えて14代目の李俊と言う名将である。交易船の護衛も長く失敗は一度もない。議論の末、「今まで長い間友好関係を続けてきた出雲を救うべし。」で衆議一決。日向勢が陸路を東から進むと聞いて西の海を3隻で李俊が率いて行くことになった。しかし風に悩まされたため、出雲に着いた時にはもう決着がついて長髄.彦の一族は撤退していた。さあ、これからは大和政権とどう向き合うべきなのか?薩摩の課題は重い。