古代の薩摩940年 62
薩摩と邪馬台国の攻防=3人の秘密会談
卑弥呼は表向きは弟の天皇とだけ会い、神のお言葉を伝える祭祀の役を務めている。しかし実際には二人で常に情報分析をしながら、方針を出してきた。ところが今回の薩摩征討問題については、弟からのぜひ田村麻呂の報告をじかに聞いてほしいという要望を聞き入れて3人で秘密裏(ひみつり)にあうことになった。
天皇:田村麻呂よ、今回はご苦労であった。戦利品を山のように積んだ船を
見て下々(しもじも)の者どもは大喜びである。死者がひとりもな
く、全員無事で何よりであった。薩摩はおとなしく降伏したのだな。
麻呂:まことに申し訳ありません。完敗でした。責任を痛感しております。
処分はいかようにでも。
天皇:何を言っておるのだ?
卑弥呼:どうしたというのだ?
<田村麻呂は志布志湾入港から、鹿児島で見聞したことをつぶさに報告する。二人はしばらく声も出ない。>
麻呂:部下200人には固く口止めしてあり、事実が発覚すれば、
私をはじめ、全員命はないと厳命してあります。国長(くにおさ)
よりの返書をお持ちしました。
<二人はそれぞれじっくり返書を読み、思わず、笑みがこぼれる。>
天皇:戸籍なるものを作り、薩摩の国全体の実態を把握しておる。
租税もないとは。隼軍団か、これはいわゆる屯田兵だな。
卑弥呼:これは「決して薩摩を攻めてはならない。」ということだな。
私が遺言として残すから、代々の天皇に引き継ぐようにせよ。
天皇:かしこまりました。
麻呂:実は小隊長10名が連名で再度薩摩行きを懇願しております
が・・・。汚名を雪ぎ(おめいをそそぎ)たいのでしょう。
できれば、わたしも。
天皇:バカモノ!そちは国の柱だぞ。
よし、それなら、こうするのはどうでしょう?
いまだに東にある40余りの国からは従う旨の返事がない。九州の
球磨国=熊襲は強く反抗している。将来熊襲征討の時に挟み撃ちに
する体制づくりに10人を薩摩にあづけることにしよう。手土産に
登り窯の技術を持つ須恵器職人を5人ほど人選せよ。
姉上、この考えどうでしょう?
卑弥呼:なかなかいい考えじゃな。
麻呂:ありがたき幸せ。