「ジュンク堂の閉店」と読書/書店という営み
先日、京都と名古屋にあるジュンク堂が閉店するというニュースを見た。とある統計によると書店数や書籍そのものの規模も縮小しており、「書籍離れ」という単語を目にする機会も増えた。
参考:
・https://www.nippan.co.jp/ryutsu-gakuin/statistics/
・https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191223-00000118-kyodonews-cul
こんなニュースや文脈の中で自分なりに書店の位置づけを再考していた。僕自身は小さいときから根っからの読書好きで今までの人生の歩みの中で常に書籍が近いところにあったと思う。小さな時は学校や地域にある図書館へ入り浸り、書籍が織りなす様々な世界に触れて過ごしてきた。だからこそ、ある程度自分で使えるお金が増えてくると、それに伴って、書籍を購入する回数も増えた。となると、足が向くのは当然ながら書店だった。
学生の時に書店でアルバイトをしていたこともあって、書店は自らに近い存在で生活の中に組み込まれていった。だからこそ、感情論的に書店がなくなることは単純に悲しい。一方で、電子書籍などのツールの普及やAmazonなどその場に行かなくても、自宅で欲しいものを揃えられる状況になってきて、確かに「利便性」の観点で言えば、それを否定することなどできるわけもない。当然のことのように自身も恩恵を受けているので。欲しいものが比較的速やかに手に入る、そんなことを否定する気はさらさらない。
となると、僕にとっての書店の在り方ってなんだったのだろうか。それはすなわち、知らない世界の一端を見せてくれる場だったのだろうと思う。ある書籍を買おうと思って、行ったのに購入が終わる頃には当初想定をしていなかった書籍も、買われて当然といった顔をして、袋の中に納まり、読まれるその時を待っている。そう、確かにネット上の購入でも買ったものに基づいて、おすすめを紹介してくれるが、その行為は書店における偶然の出会いには勝らないと強く思っている。
書店における書籍との偶然の出会い、そんな出会いを積み重ねることによって、日々の読書も少しは華やかになったと確信している。そんな出会いが今後、縮小され、一度失われてしまうとなかなか戻ってこないことも知っている。だからこそ、というわけでもないが、今日も、明日も、そして今後も僕は本を読むのだろう。