憧れの百島とSUP体験 #5
百島は瀬戸内海に浮かぶ周囲10km、人口約500人の小さな島だ。広島県尾道市からフェリーに乗って50分ほどで行ける。
とある連休、わたしはこの島にSUPを体験しに行った。
SUPはハワイで生まれたマリンスポーツだ。大きめのサーフボードのようなものに乗って、海や川をツーリングしたり、波乗りをしたり、果ては釣りをしたりする。
フェリーを降りると30代くらいのガイドさんが出迎えてくれた。彼は平日は別の仕事をして、休日はガイドをするという生活を送っているという。
ガイドさんは車で島のビーチへ案内してくれた。ビーチのそばに一軒の小屋があり、中で水着に着替えた。
しばらくしてほかのツアー客が集まった。この日のツアー参加者は20代の女性が4人、わたし1人という構成だった。
メンバーがそろったので浜辺へ集合。準備運動をし、パドルの漕ぎ方を教わると、SUPボードに乗ることになった。
ボードは波打ち際に係留されていた。わたしは座った状態でそれに乗ると、ゆっくりとパドルを漕いだ。ボードは水をかきわけながら進み、沖へと出航していく。
SUPボード乗り心地はなかなか快適だった。波のゆらめきが足元から全身に伝わってきて、まるで海の上に座っているような感覚なのだ。
「それじゃ、慣れてきたら立ってみましょう」とガイドさんが言った。
緊張の瞬間だった。海の上で不安定なボードに立つなんて、バランスを崩して落水するかもしれない。
わたしはボードの中央にしゃがみ込むと、下半身に力を込めて一気に立ち上がった。一瞬ぐらついたがすぐに安定した。
瀬戸内海は波一つない、SUPのためにあるような海だった。辺りは静寂そのもので、パドルを漕ぐチャプチャプという音だけが聞こえる。
この日は天気にも恵まれていた。空は快晴で真っ青に晴れ渡っている。太陽の日差しを浴びて、海は光の粒をまいたようにキラキラと輝いていた。
ときおり、遠くの沖をボートやフェリーが波を起こしながら通過していく。
波は数分後にこちらまで到達し、ボードをグラグラと揺らした。波が打ち寄せるたびに女性陣は楽しそうに笑った。
百島の向かいには小さな無人島が浮かんでいた。島までの距離は2kmほどだろうか、わたしたちは無人島を目指してパドルを漕いだ。
百島を出発して1時間ほど経つと、一行は無人島にたどり着いた。
そこは森とビーチ以外は何もない島だったが、無人島というだけでなんだかワクワクしてくるから不思議だ。
わたしたちはボードを波打ち際に停泊させると、ビーチへ裸足で駆け出した。
一行は無人島でしばらく休憩した。女性陣はガイドさんに記念写真を撮ってもらうのに大忙し。わたしは砂浜に寝転んで、太陽の日差しをいっぱいに浴びた。
無人島からの帰り道。潮は百島に向かって流れており、行きよりも快適にツーリングできた。
帰路の途中、ガイドさんは「今日は誰も落水する人がいませんね」と何かを期待するような口調で言った。そして何をたくらんでいるのか、彼は「クイックターン」という技をやろうと提案。
クイックターンはボードの後ろ側に立ち、ボードの前部分を水面から浮かせて、パドルを漕いでターンするという技だった。
さっそくやってみたが、ボードの後ろに立つのは足元が不安定で怖かった。
3回目のクイックターンにチャレンジした時のこと。バランスが崩れたわたしは、ボードから放り出されてしまった。
ドボン、という豪快な音とともに海に落ちる。海の水はすっきりと冷たくて気持ちよかった。
わたしは海から這い上がると、濡れた体を乾かそうとしてボードに寝転がる。
ああ、なんていい気分だろう。海のど真ん中で昼寝するなんて初めての経験だった。
女性陣もクイックターンに挑戦しては次々と落水しており、あちこちから楽しそうな叫び声が聞こえてくる。みんなが落水するのを見て、ガイドさんはなぜか満足げだった。
こうして3時間にわたるSUPツアーが終了した。ツアーが終了するとわたしはフェリーに乗って百島を後にした。
5年後。わたしはキャンプ道具を持参して百島を再訪した。今回はたっぷり3日滞在するつもりだった。
フェリーを降りると、島で唯一のキャンプ場へと向かう。キャンプ場はSUPを体験したビーチとは別の海岸にあった。
受け付けを済ませるとテントを設営。作業がひと段落するとキャンプチェアに腰を下ろし、ビーチを眺めて過ごした。
とても満たされた気分だった。旅行中に何もしないことがこんなにも贅沢だなんて。
夜になった。辺りが真っ暗で何も見えないのでわたしはキャンプファイヤーを起こした。
ふとクルーズ船だろうか、きらびやかな装飾をした船が島の前を通り過ぎていく。暗闇に沈んだ島で、船のあかりだけがぽっかりと浮かんでいた。
わたしはなぜか船に向かって声をかけたい衝動にかられた。
「みんな、俺はここにいますよ! キャンプ場に一人ぼっちで、最高に幸せな気持ちでここにいますよ!」
と、両手を振って叫ぶのだ。
島では3日間、何もしないで過ごした。
やがて島を出発する日が来た。わたしはキャンプ場を引き払うとフェリー乗り場へ向かった。
券売機で乗船きっぷを買うと、もぎりの女性に渡す。年齢は50代くらいで、脇にはお金やきっぷを入れる木箱を抱えていた。
「島では何をして過ごしたんですか?」と彼女は聞いた。
「キャンプです」
「まあ。この島、街灯がないから夜は真っ暗だったでしょ?」
彼女が申し訳なさそうに言うので、わたしは
「ええ。でもそこが良かったですよ」と答えた。
すると彼女は昔を懐かしむように
「わたしの亡くなった友達がね、『島にあかりをいっぱい灯して、百島はここにあるんだよってこと、たくさんの人に伝えたいな』って言っていたの。いつもそのことを思い出すのよ」
と教えてくれた。
フェリーが来るまでの間、わたしはあかりに満ちた百島の姿を想像して過ごした。