見出し画像

わたしの本棚(5)ローマ人の物語

塩野七生の歴史物です。
本の内容に入る前に、ジュリうさぎとこの本の接点について少し書こうと思います。

わたしの父は昭和ヒトケタ生まれ、高校の教員でした。担当教科は英語。とにかく欲しいものは所有したいというタイプで、特に「本を買う」ことにはなんの躊躇いもないので、物心ついた頃から家の空いているスペースには沢山の「本棚」がありました。

わたしが中2の時に家を建て、その数年後「書斎」を増築した父。6畳弱の書斎の壁は「入口と庭に向かうサッシ部分以外は全て天井まで本棚」…そんな造りでした。書斎を作っても、所有している本全ては収まらず、廊下や茶の間にはまだまだ本棚があり、さらには棚に入らない本があちこちに積み上がっている状態…。東日本大震災の時、書斎は本が散乱、廊下の本棚は倒れ、片付けるのにかなりの時間を要しました。

並んでいる本の種類といえば…「夏目漱石」「芥川龍之介」「世界の美術館」「日本文学」「百科事典」など「全集」も多数…。今の時代、買い取りはもちろん「図書館に寄付」もかなわない代物です。もちろん専門の英語の辞書や書籍も多数。その他、その時々で父がはまったと思われる作家の本…「池波正太郎」「大江健三郎」「司馬遼太郎」「辻邦生」などなど…あげたらキリがない…

これ全部読んでいるのかな?と若干疑問が残っていますが、父なき今、それは検証不可能です。

わたし自身、父所有の本には全く興味がなかったのですが…30代半ばに実家に戻ることになり、時間を持て余していた時期に目に留まったのが「塩野七生」、父は当時「ローマ人の物語」を単行本で12巻まで所有していました。

ただ…なぜ塩野七生がわたしの目に留まって、手に取ったのかは、今でもよくわからない…(謎)

「ローマ人の物語」の最初に『読者へ』という読者にあてた手紙のような前書きがあるのですが…下記、一部を引用します。

知力では、ギリシア人に劣り、
体力では、ケルト(ガリア)やゲルマンの人々に劣り、
技術力では、エトルリア人に劣り、
経済力では、カルタゴ人に劣るのが、
自分たちローマ人であると、少なくない史料が示すように、ローマ人自らが認めていた。
  
それなのに、なぜローマ人だけが、あれほどの大を成すことができたのか。一大文明圏を築きあげ、それを長期にわたって維持することができたのか。

<中略>
私も考えるが、あなたも考えてほしい。
「なぜ、ローマ人だけが」と。

それでは今から、私は書きはじめ、あなたは読みはじめる。お互いに、古代のローマ人はどういう人たちであったのか、という想いを共有しながら。

1992年 ローマにて
                              塩野七生

「ローマ人の物語1ローマは一日にして成らず[上]」新潮文庫

これを読んで…なんだろう「古代ローマ人」が気になって気になって…前書きを読んですぐに書店に行き、文庫版を数冊購入し、ものすごい勢いで読み始めたジュリうさぎなのです。

※前に書いたけど、わたしは「文庫本」で読みたいタイプ。

長い長い物語の中で、五賢帝の時代ぐらいまでは読むスピードが速かったけど…「終わりのはじまり」あたりからは、ローマ帝国が壊れていく姿を直視したくない気持ちに負けそうになりペースダウン…なんとか読み進めた感じかなぁ。

登場した人物の中では「カエサル」と、地味だけど「第2代皇帝ティベリウス(アウグストゥスの妻の前夫との子)」がお気に入りです。

「ローマ人の物語」は単行本は全15巻ですが、文庫版は全43巻。今わたしの本棚にはどちらも並んでいます。

ちなみに実際に読んだのは文庫本、単行本は「父の本棚」にあったものを譲り受けたもので、読むために開いたことはありません…

文庫本には、上記引用した「読者へ」の前に、

『ローマ人の物語』の文庫刊行に際しての、著者から読者にあてた長い手紙

という前書きの前書きがあります。ここに書いてあるのですが「文庫本」の形態の始まりはルネサンス時代のヴェネツィアにあるそうです。

次の「わたしの本棚」では塩野七生の「海の都の物語」について書く予定、この物語の舞台はルネサンス時代のヴェネツィアです。


※そんなこんなで…塩野七生の本を一気読みしている途中でドンちゃんに出会ったジュリうさぎなので、新婚旅行先を相談する時に「ローマでカエサルの墓参りがしたい!」とか「ヴェネツィアに行きたい!」とか言い出したわけです(笑)

↓そのエピソードはこちら↓


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集