その49 ペーパーテストで、何をはかりますか?(1840文字)
※ イラストは、『Boku(ぼく)』さん提供
(https://www.instagram.com/boku_illustration?igsh=MWtqNWxsZ3M1bHlxeg==)
1 はじめに
社会に出るまで、ペーパーテスト(以下、テストと書きます。)が、つきまといます。
テストについて考えてみました。
いったい、子どもの何をはかるものなのでしょう?
また、子どもは、大人に、はかられて然るべきなのでしょうか?
2 テスト
国語と算数のテストがありました。
結果は、8点と6点です。
100点満点のテストです。
教師として、この点数をどのように捉えますか。
基本的にテストは、総括的評価として、全ての子どもに対して、一律に行う必要があるのでしょうか。
記憶したことを問うことが主となる、テストは、過去の教育の「遺産」と捉えることもできるかと思います。
テストは、おもに学生時代に頻繁に行われることが多いと感じています。
また、社会に出てからは、資格試験、昇進試験というものが、テストの類いに該当する?類似する?のかもしれません。
学生時代の試験と資格試験、昇進試験の違いは、「やらされる」のか「自分から進んで受ける」のかということだと思います。
テストの話に戻りますが、「点取りゲーム、間違い探し、正解探し的に、楽しめる勉強」と心得ている子どもにとっては、保護者や先生である大人も含めて、一喜一憂しながら楽しめる位置付けなのではないかと思います。
3 8点や6点になる理由。
漢字を覚えていない。
もう少し詳しく言うと、漢字は読めるけど、完璧に書けるほど覚えていない、ということです。
計算ができない。
もう少し詳しく言うと、計算はできるけど、制限時間内に、数をこなせるほど練習していない、ということです。
効率が良くない。
もう少し詳しく言うと、わかってもわからなくても、出てくる順番に、問題に取り組みます。
わからなければ、わからないほど、その問題をわかる為に、時間を費やして、取り組むということです。
小学校の授業で、よく見られる、膨大な量の板書を、思考を伴わなず、ノートに書き写す学習。
書き間違えた漢字は、先生に決められた回数を書く反復練習。
小テストで100点以外は悔しい思いをする経験。
とめ・はね・はらいを先生の教え通りに完璧にする勉強。
このようなことを、全くと言っていい程、経験していない故ということになります。
テストというものを受けたことがないので、時間配分という概念を持ち合わせていないのです。
次に長文読解です。物語や本文を読者として、楽しみ、味わって学んでいます。
ですから、テストの本文を読むだけで、制限時間が終わってしまうようです。
このような状況から、8点と6点になるようです。
あなたが、教師なら、この子どもに、どのように向き合いますか。
保護者と、どのように話をしますか。
通知表は、もっとも低い評価で、いいのでしょうか。
このテストで、この子の、どのような力をはかることができたのでしょうか。
この子にテストを返す時に、先生が叱ろうものなら、日本の教育は、もうとんでもない状況だと思わざるを得ません。
しかし、大多数の教師が、叱ったり、最低の評価をしたりして、子どもの自己肯定感を下げる対応をするのではないかと思います。
公教育の最前線に立つ教師が、危機感を持って変わらなければならないと思うのです。
少し話は飛躍するかもしれませんが、そうでなければ、不登校児童・生徒が増え続ける日本の危機に拍車をかけ続けるのでは、ないでしょうか。
不登校児童が、日本の教育に大きな大きな答えを与えているとしか思えません。
4 おわりに
昭和の時代に必要だったのが、受験システム、ペーパーテスト、既存の評価・評定なのではないでしょうか。
これが「昭和の教育」だと考えます。
今は、間違いなく「令和」です。
昨年、コンビニエンスストアでは、無人レジに留まらず、無人店舗が出てきました。
商品を手に取り、店外へ出るだけで、清算ができる時代になりました。
答えを教える授業、唯一解に導く授業、それに基づくテスト、受験システムに、子どもの未来を見ることができるのでしょうか。
どちらが正しいという『二極対立』に答えがあるとは思いません。
大事なのは、今こそ、大人が本気になって、目の前の現実に真摯に向き合い、考えるべきだと思う2025年のはじまりです。