(じゅでぃい怒りの放出)自己中な怒りはブーメラン。子を守る怒りは舅も腰抜かす。
例えば、誰かに足を踏まれたとか物を壊されたとか、誰からみても「そりゃおこってもしゃーないわ」と思うような物理的な事象が起こった場合は特に何もなく、ただ痛いのを我慢したり、壊れたものはどうしようかと考えたりするだけなのだが・・・・。
これが、私自身の一方的な負の感情を他人や物にぶつけると倍かそれ以上になって自分に戻ってくるという経験を何度かしてきたので、これらを今回は記事にする。
信じるか信じないかはあなた次第。
私は自分の身に起こったことなので、信じるも何も私の内なる力が働いたと思って、これを良いほうに生かせないかと意識改革中。
体験1:夫に罵声を浴びせた翌日交通事故に遭う
義両親と敷地内同居をしているのだが、さらに夫は単身赴任という状態が10年続いている。
現在も。
結婚して20年越えで敷地内同居が15年目。
しかも長男ではなく夫は次男坊。
長男は健在なのだけれど、まあいろいろあって。
敷地内同居をするきっかけになった最大の理由は姑の精神病がきっかけなのだけれども、くわしい理由はここでは書かない。
でもざっくりはっきり言うと、私がバカだっただけ。
自分たちの新婚生活も子供と水入らずの時間も、すべて義両親につぶされてきたし、夫とともに家族で転勤を理由に住まいを変えたとしても、義両親は助けてくれ助けてくれとどこまでも追いかけてきて私たちの生活を邪魔してくると判断し、根負けして現在に至った感じ。
だから、敷地内同居を始めてまもなく、夫が友人の結婚式に泊まりがけで出席するとなって、とても私は悔しかったしうらやましかった。
家庭を忘れて独身に戻ったように羽を伸ばしてはしゃぐのだろうと勝手に想像していらいらした。
結婚式翌日にあたる日は、こちらは舅が運転で姑とうちの子供二人と私で遠くへ出かける話が勝手に進められていて、子供たちはおもちゃを買ってあげるといわれたものだから楽しみにしていた。
勝手に計画を進めて、おもちゃやお菓子というワードを先に出して期待をさせておき、私には直接言ってこないで子供から一度間接的に説明をさせる。
いつもこのやり方。
夫も無しで義両親と嫁が一緒に行動して何が楽しいのさ。
しかも姑は子供たちの面倒をまともにみることができない。
舅が以前話していたのだけれど、夫婦で車に乗っているときに口論になると、姑は発狂して高速道路でもお構いなしに車のドアを開けようとしたり、運転中の舅に暴力をふるったりするくらい制御が利かなくなる人。
だから、私が付き添わずに遠出をしたら、義父には運転に集中してほしいのに喧嘩が始まったりして何かあったら・・・?
小さい子供たちのフォローはだれがするのだろう?
そんな不安と不満もあって、夫に電話で
「あんたの親のせいでこんな生活しているのに、いいね。そっちは!」などたくさん汚い言葉を使って、温厚な夫が怒鳴るくらいののしった。
姑のキレ方に比べたら私なんてかわいいもん。
夫には私がぶちぎれても受け止めてもらわないと。
そう思っていた。
当日。
あとは自宅に帰るだけになったとき、義父が信号が赤になっていることに気づかず交差点を直進したので、右側から青になって走ってきた車と衝突した。
これで一番体にダメージを負ったのは、なんと助手席に乗っていた私だけ。
首がひどいむち打ちになった。
10年以上前の話だが、いまだにその影響はなくならない。
ポジティブに考えれば、相手の車に乗っていた人も舅も姑も子供たちもなんでもなくて、私自身もむち打ち程度で済んだと思えばとてもありがたい。
夫も結婚式当日にお酒を飲むから一泊したのであって、事故と重なった翌日はお酒を飲まずに車を運転して帰るだけだったので、車が大破して家に戻れないことを連絡すると、高速に乗ってすぐ現場に来てくれた。
迎えに来てくれるまでなんでもなかったのに、夫が運転する車で自宅に近づくにつれ、私の首は痛みが増し、夜は首も動かせないし痛くて一睡もできないくらいになった。
体験2:娘に罵声を浴びせた直後に階段から落ちる
中学高校ぐらいの時期の子供たちの態度に頭を悩ます親御さんも多いのではないだろうか?
最近は反抗期のない子供が増えていると少し前にネットニュースで見たが、うちの二人の娘は、どちらも全力で反抗期を全うして無事に酒とたばこが合法の年齢になった。
「子供が反抗期を全うしているならば、親も全力で戦わねばならない」
実はこれは私が反抗期の経験から思っていた考え。
「所詮ガキで大人になった気でいるだけ」
と両親に言われあしらわれ続けてきた私。
構ってほしいとかそういうことではなかったのだけれども、向き合ってすらくれなかった両親に嫌気がさして、尾崎豊の15の夜みたいなことすらしたいとも思わなくなった。
バイク盗んで警察のお世話になったら、結局親に迷惑をかけるだけ。
そうなると余計に面倒なので、高校を卒業して自分でお金を稼ぐまで我慢してやると、逆に親を馬鹿にしてあえて戦わないスタンスをとった。
自分が親になって娘が反抗期に入った。
ちょっと実験というわけではないけれども、ガキと言われてあしらわれた身としては、対等に子供たちとぶつかったらどうなるのだろうという興味もあって、口喧嘩からヒートアップして私と長女はつかみ合いの喧嘩に発展した。(これを対等というかは別)
長女が私を突き飛ばして、私が壁に激突した拍子に壁から時計が落ちて私の頭に直撃。
時計は粉々に。
痛かったけど私にけがはなし。
これを見て長女はびっくりして謝ってきて反抗期が終了した。
それなのに、その後しばらくしてまた喧嘩をして、今度は私が頭にきて我慢できずに2階の自分の部屋にいる娘に罵声を浴びせた。
娘はひどいと言って泣きそうになっていた。
その直後、私は階段を降り始めてすぐ足を踏み外して1階まで転落。
悲鳴を聞いて2階から顔を出した娘。
床に倒れていた私を見て、2階から笑いながら
「お母さん、大丈夫?」
と娘は言ってきた。
必死に笑うのを堪えて心配してますっていう声色なのが、顔を見なくてもわかった。
どこも痛くなかったしけがもなかったけど、とても恥ずかしかった。
体験3:子供のために舅に怒りをぶつけたら、舅が腰を抜かして立てなくなる
姑との関係のストレスがそうさせるのか舅は外面がものすごくよく、かつ承認欲求もものすごく強い。
自分の名刺の両面に、金にもならない役職を米粒よりも小さな字でぎっしり詰め込んで記載している。
時には、地方議員の金魚の糞みたいに一緒にいるだけですごいだろ俺みたいなアピールをしてくる。
また、立場上中学校と高校の教師との付き合いが多くあって、自分も教師と同じ立場にいると勘違いをしているような言動が多い。
これに長女の進路が絡む出来事があった。
舅が思っていた進路と長女が決めた進路が違ったことで自分の立場が危ぶまれると思った舅は、娘の友達や先輩に同じ高校に行こうと説得しろと言っていたり、遣いの人間まで登場させて親の私を説得して娘の進路を何とか変更させようとしていたのだ。
姑息で幼稚な作戦でばかばかしい。
うちの娘たちはスポーツ推薦で高校へ入学していて、長女が地元の私立高校のオファーを断って外に出ることに決めたのがことの発端。
挙句の果てに、長女と夫に向かって
「今回の件で責任を取って俺はあらゆる役職を辞める」
まで言い放ったのだ。
夫と長女は口をそろえて
「やめれば?」
で終了。
承認欲求が強い舅が辞めるはずもないことはわかっていた。
結局次女も姉を追いかけて同じ高校へ行った。
この出来事以来、夫も娘たちも舅と姑と顔を合わせて話すことがかなり少なくなった。
外面ばかり気にして家族に嫌われた舅。
それでも私は間に入って仲を取り持つふりをして、長女の高校合格祝いを兼ねて家族で外食をしようと提案してお店を予約した。
観念しただろうと思っていたし、孫が離れていくさみしさもあるのだろうと手を差し伸べたつもりだったが切り替えが早かった舅。
「がんばれよ」と激励するのではなく、良い成績を必ず残すようにと圧力をかけてきたのだ。
成績が振るわなかったらお小遣いを一切あげないだの、優勝したらたくさんあげるだの、もうお世話になる高校の先生とは連絡がついていろいろ言ってあるだの、結局舅自身の立場や世間体を意識しての発言。
娘たちを何だと思ってるんだ。
この時の私の怒りは、これまでのようなキー!!という感じのものではなくて、指先からおなかの中心に向かって体が冷えていくような異変を感じて、手足も震えてきた。
冷静にワナワナしている状態。
体の中心に氷の玉があるように冷気みたいなものを全身に纏っているような状態だった。
一言も発さずにじっとしている私に娘が気が付いて、「お母さん??」と話しかけたところからスタート。
舅に向かって静かに
「はじめさー、地元の高校に行かないって決めたら俺の立場がどうとか言ってたよね?」
もうため口。
すると、
「言ったかもしれないね」と「言った」と断言せず逃げた舅。
私:「言ったかもしれないじゃなくて、言ったんだよ。そんで、役職は全部辞めたんだよね?」
舅:「やめようと思ったら、急にやめられなくなっちゃって。」
私:「はぁ?口ばっかりかい?それでよく孫に要求ばっかしてんなー。謝れよ娘に。素直におめでとうって言ってもらえなかった子供の気持ち考えたことあんのか?謝れ。ここで謝れ」
もう私、全身震えが止まりませんでした。
静かに声も震えて、泣くのをこらえながら一言ずつ下唇をかみしめて言い切りました。
舅は顔が真っ青。
姑はその隣で手をたたいて大爆笑(やっぱり狂ってる)
舅は長女に向かって頭を下げた。
姑はへらへらしながら「どうもごめんなさーい」と言っていた。
別々の車で来ていたので、舅は逃げたくて必死に立ち上がろうとするのだがまったく立てず。
姑が足がしびれて立てないと勘違いしていて、早く帰ろう帰ろうと舅の腕をひっぱり騒いでいた。
腰を抜かしたようだ。
10分ぐらいして落ち着いて、そそくさと帰っていったけど。
夫は私が親に対して言ったことを責めなかったし、舅に
「俺も今回は親だけどもかばってあげられない」と言ってくれた。
長女は「お母さんありがとう。私もすっきりした。でもばあちゃん笑ってたね・・・」と言っていた。
次女は「言ったな、とうとうって思った」と言っていた。
今回は私に何も起こらなかった。
でも震えはしばらく止まらなかった。
現在舅は、この時よりもさらに上の役職についた。
体験4:怒りは文字にして書きなぐってすっきりしようと思ったらノートが使用不能になった
舅との件があってから、怒りを覚えると体に異変は起きるし自分にも変な風に返ってくるかもしれないから、ノートにこまめに負の感情は書き出して、書き終えたら破いてポイっと捨ててみようかなと考えた。
あまり感情の起伏を激しくしたくないなと思っていたからだ。
それで、専用に購入した切り取り線の入っているノートの最初のページに思いつくまま負の気持ちを書きなぐってみた。
そして、そのページを切って丸めてごみ箱に捨てようと思った。
ノート本体は小脇に抱えて、丸めた紙を手にもって台所のゴミ箱へ捨てに行こうと思ったら、柱に体をうっかりぶつけてバランスを崩し、ふたを開けっぱなしにして弱火で温めていたミートソースの中にノート本体がポチャッと落ちてしまった。
怒り専用のノートはもう使えなくなった。
でも、なんだかおかしくなって一人で大笑いした。
体験5:カメラ部品にむかって父の悪口を言いながらヤフオクに出品したらトラブった
実家の母が、私が古物商なのをわかっているのにポスティングされていたチラシを見て着物買い取り業者を自宅に招いたらしい。
結局着物はまとめて3000円ぐらいだったとか言っていたかな?
そしたら、その時に「カメラはないですか?」と業者に聞かれたらしい。
すると同席した父が、
「一眼レフがあるけれど、今すぐに出せない。」
と答えたら、
「もしかしたら、そのカメラ30000円で買い取りできるかもしれません」
と言われたらしい。
その時には探して見つかったらまた連絡しますと言って帰ってもらったそう。
(もしこちらから連絡をしていないのに、突然何かないですか?と尋ねてきたら警察に通報しなきゃだめなんです。深刻な事件に発展するケースも多いので気を付けてくださいね。)
でもうちの父、古いカメラが30000円になる「かも」しれないではなく、とにかく家にあるカメラは買取額が30000円「だ」と勘違いをしていて、たまたまこのやり取りがあった後しばらくたったタイミングで私が帰省したら、その話をしてきて、カメラをごそごそ出してきた。
「このカメラ、30000円で売れるんだって本当か?」
私は絶句した。
昭和のフィルムを入れるタイプの一眼レフカメラなのだけれども、表面はボロボロで触っている間にどんどんカスが落ちてくるし、電源は入るけれどもバグっている。
電池を入れる部分のプラスチックは劣化が激しく、感電しそうで使えない。
「これは無理。一番いい状態で30000円って言ってなかった?」
と聞いても、どんな状態でも30000円だと言っていたと。
それはないと私は判断した。
多分、話の細かいやり取りをした部分が抜け落ちていて、30000円という数字だけが頭に残ったんだと予測する。
購入当時の価格が頭にあるから必死なんだと思う。
当時望遠レンズや部品などこみこみで10万円以上したものだから、
「こんなボロボロだとレンズなしで本体だけでは500円でも売れないかも」と言ったら、父にキレられた。
「キレるなら、カメラのキタムラにでも行って査定してもらいな」
というとそれは面倒らしく、できるだけ30000円に近づけるようにお前のノウハウを駆使して代わりに売ってくれと言ってきた。
試しに3000円で出品してもウォッチもつかず、ひと月ぐらいかけて結局値下げをして再出品をしてカメラは望遠レンズ込みで550円で落札された。
残りのカメラ部品のほうが高く売れる見込みだったので、
「これだから代わりにモノを売るとか嫌なんだ!仕入れたものを売っているほうがまし!」とか父の悪口をひとりでぶつぶつ言いながら出品したら、ぐんぐん上がって2500円ぐらいになった。
「やった!」
と思ったのもつかの間。
到着後にメッセージが来て、使用品で傷もあるよと説明書きもしてあり、カテゴリーも傷や汚れありで出したのに、一方的に話が違うと落札者がいちゃもんをつけてきた。
未使用未開封なんてどこにも説明書きに記載もないのに話が違うから対応しろだと。
このアカウントに飛んでみたら、
「悪評はすべて報復によるものであり、私に非はありません」という文言が自己紹介欄に書いてあった。
んなわけないじゃん。
みんなカメラ関連でトラブっての悪評だった。
とりあえず、こちらでは嘘は書いていないので謝る必要はない。
でも、返品を要求したところで匿名配送なのに住所と氏名晒すのは嫌だ。
だから、品物は返さなくていいので取引キャンセルしますか?と聞いたら詫びる言葉もなくお願いしますだけ返事が来たので、「落札者都合」にしてキャンセルしてやった。
落札者に警告メールが飛ぶらしいが、悪評がたくさんある人は屁でもないだろう。
そしてブロック。
評価もせず放置。あとは忘れることにした。
父親には売れたと嘘をついて、落札された金額相当を手渡した。
30000円という数字だけが独り歩きしてしまう心理状況もわからなくはないが、こんな状態だと高齢者宅を狙った詐欺にまんまとひっかかりそうな可能性も十分にあるので、注意はしておいた。
夫と子供たちにミートソース漬けになったノートのこととカメラ部品の出来事を伝えたら、これまでの事をみんな思い出してゲラゲラ笑っていた。
面白いよねーお母さんって。
いつでも怒らず笑っていなさいってことだよ。
(みんな人のことばっかり言うけどあんたたちもな)
事が起きた時は笑えるところは一つもないのだけれども。
家族が笑っているからま、いっか。
と、今は思えている。
これらの事象をスピリチュアル的に考えると、周波数が低いとか潜在意識がどうとか、高次元低次元がどうという話になるのかと思う。
こういう話に偏った話をすると、私の親族には霊媒師として生活していた人もいて(現在は他界)そういう絡みでのトラブル事も絶えなかったから、
「見えないものが見えるなら、もっとわれら親族は仲良くなっているのでは?」
と子供のころから思っていて、見えない力は信じつつもそれだけを頼りに生活をしたところで豊かな暮らしができないことも知っている。
ともあれ、いろいろあっても家族元気でいることが一番の感謝すべきことである。
いかなる理由があったとしても、自分から一方的にあふれ出る負の感情を放出させてしまうと、私の場合は高確率で自分自身に戻ってくることを認めるしかない。