【片翼の蝶と白昼夢】第1章
◆ 第1章
「ようこそお越しくださいました。私たちは、あなたが望む理想の最期をお手伝いいたします」
私がそこに足を踏み入れると、無機質で感情のない音声が出迎えてきた。目の前の機械から発せられている。小さなディスプレイと、いくつかのボタン。飲食店の券売機を連想させた。
ディスプレイには、『自殺幇助推進組合』とある。
「改めて私から、当組合と、こちらの施設についてご説明をさせていただきます」
機械の前に立つ私に、音声が告げる。
「科学や医療の発展により、人間は何年でも生きられるようになりました。政府は積極的な延命を推奨しており、今日の医療機関では非常に高度な延命処置が採用されています。およそ寿命というものは存在しなくなり、病気や怪我で人が亡くなることもほぼ皆無となりました。名実ともに、我が国は長寿大国となったのです」
私が『自殺幇助推進組合』のことを調べていて、何度も読んできた文章だった。来訪者には説明する決まりでもあるのだろう。機械は台本の文字をたどるように読み上げている。
「一方で、自ら命を絶つことは、非難の対象となることが少なくありません。生きようと思えばいくらでも生きていられる世の中にはなりましたが、その根底には、生きることこそが善で死ぬことは悪だという考えが蔓延しているのです」
そう。たとえば、飛び降り自殺の防止のために、ビルの屋上や駅のホームには柵を取りつけることが義務づけられた。自殺しようものなら、よほどうまくやらない限り直ちに病院に運ばれ、たちどころに延命処置を施されてしまう。
つまりそれは、死ぬタイミングを自分で決められないということだ。
「私たちは、死も人生の一部であると考えています。生きるか死ぬか、死ぬならどのように死ぬのか、というところまで本来は選べるべきなのです。当組合は、自ら命を絶ちたい、進んで人生を終わらせたい、そんな方のための非政府組織です。人生の最期という大切な瞬間をデザインさせていただきます」
ここまで音声が流れると、ディスプレイの下の部分がシャッターのように開き、スマートフォンみたいな携帯端末が吐き出された。
「まずは簡単なアンケートに答えていただきます。こちらの端末に必要事項を記入してください。終わりましたら、画面右下の『回答完了』ボタンを押してください」
私は携帯端末を受け取ると、手近なところにあるソファに腰かけた。
ここは、『自殺幇助推進組合』が運営する、自殺希望者のための施設。
入所者はこの施設で数日間、ほかの入所者たちと寝食をともにする。その間、組合側は入所者の理想の死を実現させるための準備を行うらしい。
自ら人生を終わらせたい──早い話が自殺希望者である──を一時的に収容するための、一種の入院病棟みたいな場所。入院というと医療機関のようだけど、実際やっていることはほぼ真逆だ。現行の法律を鑑みると、限りなくクロに近いグレー、というところにあるのではないだろうか。
私もここでこれから数日間を過ごし、そして死ぬ。私は死ぬためにここに来たのだ。
ソファに座り、あたりを一瞥する。
入口を入ると、目の前にはこのロビーと、私がさっきまで操作していた機械。それから、クリーム色の壁。リノリウムでできた床。一直線に長い廊下。途中には、上の階へと続く階段もある。見えている範囲だけで、2機の室内用ドローンが徘徊している。
ロビーの少し離れた場所には、ここの入所者と思しき人がちらほらいた。20代くらいから60代くらいまで、様々な年齢の男たちだ。きっと私のような10代の女子が来るのは珍しいのだろう。彼らの半分は好奇の目、もう半分は軽蔑の目でこちらを見ている。前者は女である私をおもしろがっていて、後者は私の容姿に対して品定めをしている。そんなふうに感じた。
……いや、こう思ってしまうのは、私に染みついた悪癖でしかないのかもしれない。
ロビーの人影を気にしないふりをして、携帯端末の画面の中のアンケートに視線を移した。
必ず答えなければいけないのは、希望する死に方だけのようだった。そのほか、任意回答項目として、名前、性別、年齢、現在の健康状態、精神状態、死に方の詳細、死にたいと思った理由や経緯などを記入する欄がある。死にたいと思った理由や経緯はおろか、名前までここではさして重要ではないらしい。
希望する死に方。
首吊り、焼死、生き埋め、などの選択肢がある中で、私は『安楽死』を選んだ。
最期のシチュエーションに特にこだわりはなかったけど、この施設には、安らかな死を提供するための『安楽死マシン』なるものがあるということを、私は事前に調べていて知った。これなら苦痛もなく死ねるだろう、最期の瞬間くらいは苦しまずに迎えたい、と思ったのだ。
死亡方法のほかには、私は名前と性別と年齢だけ入力した。
機械のところに戻り、『回答完了』のボタンに触れる。ディスプレイの下が再び開いたので、そこに携帯端末を返却した。
「ご回答ありがとうございます。ご回答いただいた情報を処理しますので、しばらくお待ちください」
遠くからの視線をちらちらと感じながらも、私は『しばらくお待ちください』と表示された画面をただじっと見つめた。
「お待たせいたしました。あなたの登録名は『A127』です。以後、『A127』というお名前で管理をさせていただきます。『A127』さん、ご希望される死に方は『安楽死』でよろしいですね?」
ディスプレイに 『はい』と『いいえ』のボタンが表示される。私は『はい』のほうに指を触れた。
「『安楽死』の場合、専用のマシンに入っていただきます。ただし、ご希望される方が多いので、今からですと約1週間待っていただくことになりますが、よろしいですか? ほかの死亡方法でも、準備や事後処理のために最低でも三日から五日ほどのお時間は頂きますので、さほど違いはないかと思いますが」
再び『はい』と『いいえ』が表示された。わざわざ数日早めたところで、死ぬ瞬間まで苦痛を味わうくらいなら、安楽死のほうがいいだろう。私はもう一度『はい』を選ぶ。
「かしこまりました。登録処理をいたしますので、しばらくお待ちください」
数秒の後、「お待たせいたしました」という音声とともに、プラスチック製の飾り気のない腕輪が機械から出てきた。
「こちらは、あなたの〝名札〟になります。最期のときまで常に身につけ、なくさないようにしてください。破損、紛失等してしまうと、ご希望の死に方を提供できない場合がございますので、あらかじめご了承ください」
腕輪を手に取ってみる。〝名札〟といいながら、そこには『A127』と書かれたタグがついているだけだった。これから死のうというときになっても、私は記号として処理されるようだ。
──なるほど。私は最後まで、名前で呼ばれることはないわけだ。
「最後に、注意事項を申し上げます。当施設内では、パソコンやスマートフォン、タブレットなど、外部と通信できるものは使うことができません。また、刃物や銃器類の持ち込みも禁止です。これらをお持ちの場合、後ほど回収させていただきます。当施設の敷地内から抜け出すことや、使用が禁じられているものを使うこと、ほかの入所者や施設内の設備に危害を加えることなどは、違反行為となります。発覚した場合、しかるべき処罰を受けることになりますのでご了承ください」
人間味のない音声で話すのを、私は他人事みたいに聞いていた。どうやら、ずいぶんと厳重に管理されるらしい。まあ、危険物は持ちあわせていないし、今更連絡をとりたい人が外にいるわけでもないから、別にどうってことはない。
「今日から『A127』さんには、2階にありますA号室に宿泊していただきます。宿泊に必要な衣服や道具等は、こちらで用意してありますのでご安心ください。それでは、最期のひとときを、ごゆっくりお楽しみください」
機械の音声案内は、これで終わった。
壁に備えつけられているモニターのフロアマップに従い、2階へ向かう。階段を上がると人型ロボットに迎えられた。私は生活に必要な服と道具を与えられ、代わりにスマートフォンを預けた。それから、『A号室』という札がかけられた部屋に私を案内すると、ロボットは滑らかな動きでどこかへ去っていった。
これで私は、晴れて『A127』として、『自殺幇助推進組合』が運営するこの施設に身を置くこととなった。
私の人生は、大半が悪い夢みたいなものだった。
だけどその夢も、あと七日で終わるのだ。
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