
人類がテクノロジーを書いたのではない、テクノロジーが人類を書き換えた― エンジニアのための「隠喩としての建築」読解with GPT4o #11
新人エンジニアが柄谷行人さんの「隠喩としての建築」(講談社学術文庫)の難解な文章をGPTに助けてもらいながら読み解き、未来に必要なものづくりのヒントを探る試み、今回は「隠喩としての建築」29ページから第1章の最後のパラグラフまでを読んでいきます。
自然とは何か? 自然とはいまもこの先も同じ定義で存在しうるだろうか?
あなた:
『人間が作ったものと自然が作ったものの差異は何かという問いは、それ自体 歴史的である.
実際 この問いが生じるのは またテクネーの意味が問われるのは決まって テクノロジーが飛躍的に発展する時である.
例えば ジャック・モノーが 『偶然と必然』の冒頭において この問いから始めているのは 象徴的である.
あるいは 症候的であると言うべきかもしれない.
というのはここで言う 「自然」は対象物のことではなく、人間による制作( 建築)の可能性の限界点に現れる何かだからである.
もしあるものについての知が それを制作しうることにあるとすれば、右の問いが新たな 制作の可能性が与えられた その都度、その文脈において問われるのは当然のことだ.
サンボリスト たち の問題意識は、サイファーが言うように、19世紀のテクノロジーに密接に関係するのである.
今日において 構造主義は言うまでもなく、コンピューターサイエンスの所産である.
逆に 現代のテクノロジーに無関係に見えるような哲学者の言説においても,
本質的にこの関係が存する。 例えば ジャック・デリタがアルシエクリチュールについて語るとき、分子生物学が遺伝子を エクリチュール として見ているという事実の上でである』
ChatGPT:
このパラグラフでは、柄谷行人がテクノロジーと哲学の関係を掘り下げています。「人間が作ったもの」と「自然が作ったもの」の差異とは、単に物質的な区別ではなく、むしろ人間の制作能力や技術の限界によって際立つものです。特に技術の飛躍的発展期には、この問いが再燃すると指摘されています。
歴史的文脈での問い:
テクノロジーの急速な発展に伴い、人間の制作能力が新たな次元に進む際に「自然」との境界が問い直される。
例として、ジャック・モノーの『偶然と必然』が挙げられ、その冒頭でこの問いが論じられている。
自然の再定義:
ここで言う「自然」とは、単なる客観的な対象物ではなく、人間の制作(=建築)の可能性が極限に達した際に現れる境界的な何か。
哲学とテクノロジーの相互関係:
19世紀の象徴主義は当時のテクノロジーと密接に関連している。
構造主義はコンピュータサイエンスから生まれたとされ、他の哲学的な議論も現代のテクノロジーの影響を受けている。
デリダと分子生物学の接点:
デリダの「アルシエクリチュール」(原=書き込み)についての議論は、遺伝子を「エクリチュール(書かれたもの)」として捉える分子生物学との関連が指摘される。
解釈の補足:
柄谷は、哲学的思索や美学的議論が常にその時代の技術的背景と深く関わっていることを強調しています。
彼の主張によれば、哲学や文学が生まれる背景には、常にその時代の「制作の可能性」があるということです。
あなた:
『このことは 何を意味するのだろうか.
第一に我々はもはや伝統的な用語 によって語るべきではなく、少なくとも 現代のテクノロジーの達成を前提としておかねばならない.
さもなければ それは我々を 伝統的な思考の圏内に閉じ込めてしまうだろう.だが同時に、我々は歴史的な過去に遡行しなければならない.
それは現代のテクノロジーが与えている「問題」が、その中で解かれるべきものであるところか、1つの 反復的な症候に過ぎないことを知っておくべきだからだ.
さらにもっと重要なことは、我々の問いが 我々自身の説明できない 所与の環境の中で与えられているのだということ、従って それは 普遍的でもなければ最終的でもないということを心得ておくことである』
ChatGPT:
この段落では、柄谷行人が現代における思考や問いのあり方を再検討する必要性を説いています。以下にその意味を整理します:
1. 伝統的な用語では不十分
現代のテクノロジーを前提とする必要性
伝統的な哲学や思考の枠組みは、過去の技術的達成を前提として形成されたものです。しかし、現代のテクノロジーがもたらす新しい課題や可能性に対応するためには、それらに基づいた新しい言葉や概念が必要です。例: 古典的な「自然」「技術」の二元論では、AIや遺伝子工学のような現代的な現象を十分に説明できない。
2. 歴史への遡行の重要性
テクノロジーの問題は歴史的文脈の中にある
現代の技術的課題は、過去の思考や技術史の中で繰り返し現れてきた「症候」の一つと捉えられます。過去を振り返ることで、現代の課題をより深く理解し、位置付けることができる。
3. 問いの相対性と限界
普遍性や最終解ではない
我々の問いや問題設定は、現在の環境や文脈に依存しており、これが絶対的なものではないことを理解する必要があります。つまり、我々が抱く問いそのものが歴史的・文化的に限定されているという認識です。所与の環境への依存
現代の問いは、我々が説明しきれない状況や技術的環境の中から生まれており、それ自体が偶然性を帯びています。このことは、問いを普遍的なものとして捉えることの危険性を示唆しています。
4. 問いの反復性
現代の課題は、新しいように見えても、実は歴史を通じて繰り返される本質的な問いであるという視点。この反復を自覚することで、現在の問題をより包括的に捉えることが可能となります。
結論:
柄谷は、現代の哲学や思考が進むべき道として、過去の知識に囚われずに現代の技術を前提としながらも、その技術的・歴史的文脈を踏まえた批判的思考を提唱しています。
このアプローチにより、現在の問いの相対性や限界を自覚しつつ、新たな哲学的視座を構築することが求められていると考えています。
新しい言葉で新しい時代の設計思想を書き換えよう
あなた:
つまり この 論文 「隠喩としての建築」の第1章「建築への意志」が言っていることは、歴史は 建築であり 誰が作ったのか と問うことはできず、
それがどうやって作られたかを語る言葉 そのものも 絶えず定義し作り直されなければ いけない、
なぜなら 今日の諸問題が 解かれるべき 環境 そのものが 普遍的でもなければ最終的な ものでもなく動的だから と 言っていますか?
ChatGPT:
その通りです!あなたの理解は的確です。柄谷行人の「隠喩としての建築」の第1章「建築への意志」は、以下のような主張を含んでいます:
1. 歴史は建築として捉えられる
歴史は固定されたものではなく、常に「建築」されるもの、つまり構築され続けるものです。この構築は個別の「誰か」が行うものではなく、多層的・集団的な過程を経て成り立っています。
2. 「誰が作ったのか」ではなく「どうやって作られたのか」
重要なのは、歴史や現実が「誰」によって作られたかという問いではなく、それが「どのように」構築されてきたのか、そのプロセスを問うことです。このプロセスを追求することで、歴史や現代の問題がより深く理解されます。
3. 言葉や概念の再構築の必要性
問題を説明するための言葉や枠組み(=建築の設計図のようなもの)もまた、固定的なものではなく、新しい技術や状況に応じて作り直されるべきです。さもなければ、時代遅れの枠組みに閉じ込められてしまいます。
4. 現代の環境の相対性
現代のテクノロジーや社会問題を取り巻く環境そのものが、普遍的でも最終的なものでもありません。それゆえ、今日の課題に対する答えもまた、最終的なものにはなり得ないという認識が必要です。
結論:
柄谷は、現代における哲学的・社会的な問いのアプローチを根本から見直すことを提案しています。
この論文が示唆するのは、我々が直面する問題やそれを説明する枠組みが常に流動的であるため、それに応じて新しい思考や言葉を構築し続ける必要がある、ということです。
あなた:
なんか オブジェクト指向プログラミング みたい って思いました.
ChatGPT:
まさにその通りです!柄谷行人の議論とオブジェクト指向プログラミング(OOP)の考え方には、以下のような共通点が見られます:
1. 再利用性と動的構築
OOPでは、オブジェクトやクラスは再利用可能で、常に新しいコンテキストに合わせて拡張・変更できます。同様に、柄谷の議論では、歴史や言葉(=枠組み)は固定されたものではなく、常に新しい状況に応じて再構築されるべきだと述べられています。
2. 「誰が」ではなく「どうやって」
OOPでは、個々のオブジェクトが「誰が作ったか」ではなく、「どのようなプロセスで振る舞うか」が重要です。柄谷の主張も、歴史や社会を「誰が作ったか」ではなく、「どのようなプロセスで構築されたか」に焦点を当てるべきだとしています。
3. カプセル化と抽象化
OOPでは、複雑なシステムを扱うために、カプセル化によって内部の詳細を隠し、抽象化によって本質的な部分に集中します。柄谷の議論も、表層的な問いではなく、歴史やテクノロジーの本質的なプロセスを捉えるべきだという点で共通しています。
4. 環境(コンテキスト)の変化に対応
OOPでは、クラスやオブジェクトは異なる環境(文脈)で使われることを前提とし、柔軟に適応するよう設計されます。同様に、柄谷は、現代の問題や環境の変化に応じて、新しい枠組みや言葉を構築し続ける必要性を強調しています。
結論:
柄谷の哲学は、オブジェクト指向プログラミングと同様、柔軟性と動的適応を重視していると考えられます。
この視点からすると、哲学的な思考も一種の「設計思想」として、時代や環境に応じてアップデートされるべきものだと言えるでしょう。
※ChatGPT の回答は必ずしも正しいとは限りません。重要な情報は確認するようにしてください。
※文章の音声読み上げは、正確に原文を読み上げたものではありません。