読書録135 星野源著「いのちの車窓から2」
源さんほどの多才な才人でも、いやだからこそか?これほど傷つき、生々しく血を流しながら「普通」とか「世間」という曖昧かつ傲慢で時に刺々しい「価値観」と対峙しなければならないのだな。
ラジオやテレビや楽曲なんかで源さんに感じる「生き方の達人感」の舞台裏を知る事で、オレはますます源さんが好きになってしまった。
たまたま見ていた、オラが地元tvkの人気番組「saku saku」にゲストで来ていた気さくな青年は、大病から復帰したばかりだと言っていた。
なんとなく気になって、その後からチマチマと追いかけだして、楽曲、ドラマ、映画、ラジオ、そしてエッセイなんぞ読み漁り、気がつけばイエマガ+に入会して今に至る。
前作と比べて、本作はいくらかエモさが強い様に感じた。大事な人達との「出会いと別れ」が描かれているからかもしれない。
「内の世界」に篭りがちだった源青年を、「外の世界」へと誘ってくれた恩人達との別れ。
そして「外の世界」での「場所」ができた事により手に入れた「新しい内の世界」で行動を共にするパートナーとの出会い。
どの人も、強く手を引っ張るわけではなくて、柔らかく思考の補助線を引いてくれるだけなのが素晴らしいんだよなぁ。
「食卓」という項の夫婦での会話の、本人にとっては非常に重大な告白をした源さんに対して、奥さんの「おお」という返しがとても最高に素晴らしくて…「おお」の二文字に彼女の人柄やら魅力の全てが凝縮されているようにすら感じた。素敵な二人だなぁと、少し目が潤んだ(笑)
50を過ぎて、感受性なんて擦り切れきってしまった傷跡だらけのオレが、素直にセンチな気分になれるなんて、どれだけ瑞々しい表現なんだろう。
こういう素敵な人達との出会いも、欽ちゃんいうところの「運」なのかもしれないな。
最終項「いのちの車窓から」において、ルールやらシガラミやらに縛られて決められてしまったレールの上を走る電車の「車窓」から景色を眺めるのではなく、見たい風景を自分の足で探すというちょっと猪木イズムを感じる心境に至ったところで、本作はとりあえずエンディングを迎えたのだけれど、最近のゲームのように、エンドロールの後にこそ「更なる冒険」や「楽しいダンジョン」があるんだろうと信じて待つ事にする。
なんせ、「そして生活はつづく」のだ。
後、表紙をめくってみたらニヤリとした。
そうだ、彼も同じ車両に乗ってたんだよな(笑)