漂流教室No.7 『土佐日記』貫之自筆本はどこに・・・
漂流教室 No.7
さて、『土佐日記』。
紀貫之が書いたオリジナルの「貫之自筆本」は現在見つかっていません。
うーん、もうこの世には無いのかもしれない。
「貫之自筆本」を写した本(写本といいます。)として有名なのが「定家筆本」。
藤原定家が写した本です。
加賀百万石の前田家が持っていたので、現在は前田育徳会が蔵しています。
石川県立美術館が前田家関連の展示を行うときに見られるかも。
もひとつ有名なのが「青谿書屋(せいけいしょおく)本」。
「青谿書屋」とは戦前に財閥「三井」の理事を務めた大島雅太郎さんの古書のコレクションです。
この「青谿書屋」の中にあるのが「青谿書屋本 土佐日記」。
「貫之自筆本」をそっくりそのまま、まるでコピーのように写したといわれる「為家本」を、そっくりそのまま、まるでコピーのように写したのが「青谿書屋本」だといわれています。
「為家本」の為家(ためいえ)とは、定家の息子さん。
お父さんとは違って(後述します)、きまじめにコピー版を作ったようです。
言葉はもちろん、文字も変えず、一行当たりの文字数も、一ページ当たりの行数もそっくりそのまま。
「一字不違(一字も違わず)」らしい。
「為家本」が存在しないなら、この「青谿書屋本」が最もオリジナルに近いと考えられる。
ということで、長らく「青谿書屋本」が最善のテキストでした。
で、1984年、見つかったんですよ。「為家本」。
「弘文荘」という古書店で売りに出された。
価格が七千五百万円。
当時、新聞のトップ記事になりました。
私、学生でした。国文学専攻だったから、やっぱり興奮しましたねえ。
この「為家本」、「青谿書屋本」と瓜二つ。
いや、逆か。
「青谿書屋本」は「為家本」の完全コピー版。
ということは、「為家本」もオリジナルの完コピであると思われる。
さて、定家さんは、いろんな古典作品を写しているんだが、少々問題がある。
オリジナルの文言を書き換えちゃうんです。
著作権とかオリジナル尊重とかの意識が無かった時代の人だから、まあ仕方ない。
「為家本」(もちろん「青谿書屋本」も)は、
「おとこもすなる日記といふものを をむな(女)もしてみんとてするなり」ですが、
「定家筆本」では、
「おとこもすといふ日記といふ物を ・むな(女)もして心みむとてするなり」
意味内容は変わらないだろうけれど、どうも少々違っている。
それに仮名遣いも「定家仮名遣い」と呼ばれる独自路線の表記を使う。
定家さんは自分の表記、表現の方がいいと思ったんだな。
というようなことは、普段の高校の授業では扱わない、と思う?
いやいや、私は扱います。
「定家筆本」と「青谿書屋本」と「為家本」をパワポで映し出して、比べたりする。
「おっ」というふうに、身を乗り出す生徒もいれば、
「なんだ」というふうに、無興味無関心を体現する生徒もいる。
そんなもんですよ。
全員が目を輝かせて全集中(もはや古いか?)するなんてことはあり得ない。
でもね、少なくとも私は私の興味関心には素直でいたい。
授業だって、自分がおもしろいと思ったことを中心にやりたい。
それにね、自分がおもしろいと思うことを、
実におもしろそうに語る人を見るのって楽しくない?
少なくとも
「為家本ってすごいぞ」とおもしろそうに語る私の姿をお見せするのは意味の無いことではないと思います。
定年まで、あと半年。
授業ぐらい好きにさせてくれ。
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