漂流教室 No.40「『源氏物語』から『ご寵愛』」
上達部、上人などもあいなく目をそばめつつ、いとまばゆき人の御覚えなり。
唐土にも、かかることの起こりにこそ、世も乱れ悪しかりけれと、やうやう天の下にもあぢきなう、人のもて悩みぐさになりて、楊貴妃の例も引き出でつべくなりゆくに、いとはしたなきこと多かれど、かたじけなき御心ばへのたぐひなきを頼みにて、交じらひ給ふ。
上達部、上人なども困ったことだと目を背け、実に正視に堪えないほどのご寵愛ぶりである。
中国でも、こういうことが原因で、世も乱れ悪くなったのだと、しだいに世間でも苦々しく、人々の悩みの種となって、楊貴妃の例も引き合いに出しそうになってゆくので、本当にきまりが悪いことが多いけれど、畏れ多いほどのお心遣いの比類がないことを頼りにして、宮仕えをしておられる。
(訳…私)
上達部は「かんだちめ」と読みます。
大臣や大納言、中納言などのトップクラスの人たちです。
上人はそのまま読んで「うえびと」。
上達部の次に位置する上流貴族たちで、「殿上人(てんじょうびと)」ともいいます。
天皇が日常を過ごす建物を「清涼殿(せいりょうでん)」といいます。なんだか涼しそうな御殿です。
ここに「殿上の間」というところがある。
殿上人はこの殿上の間に上がることを許された人たちです。
天皇さんと会える人たちですね。
殿上の間に上がることが許されていな人たちは「地下」。
「ちか」じゃありません。「じげ」です。
上達部、上人は貴族社会の中枢、つまり現実に政治を執り行っている人たちです。
この人たちが、
「こりゃ、あかん」と目を背けちゃう。
よほどのことです。
いったいどんな寵愛だったんでしょうか?
こんなことをしたんでしょうか?
あんなことをしたんでしょうか?
まさか、そんなことまで…?
と、ついつい想像をたくましくしてしまいます。
高校の授業では決してお話しできないような想像までしてしまいます。
でもね、実は古典にはこんな風にアダルトな想像を許してくれる「遊び」はいっぱいあると思います。
『伊勢物語』も『土佐日記』も、いやいやその気(どんな気?)になれば『万葉集』や『古今和歌集』なんかもなかなかいい(?)のが揃ってます。
機会があればご紹介したいですね。
さて、天皇さんがあんまり桐壺更衣にのぼせちゃってるから、
とうとう「楊貴妃みたいだ」と言われちゃいました。
でましたね、楊貴妃。
あの楊貴妃ですね。
もう、美人の代名詞。
クレオパトラと並んじゃう。
小野小町を加えて、世界三大美人!
もっとも、日本だけで言われているそうですが。
さて、「楊貴妃みたい」とは、どういうことか?
それは次回のお楽しみということで。
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