漂流教室 No.57 「『源氏物語』から「桶」パート2」
前回は平安時代のおトイレの事情をお伝えしました。
さて、よく聞くところですが、かのベルサイユ宮殿のおトイレ事情もかなり劣悪だったとか。
ベルサイユ宮殿にはトイレはなかった!と、聞いたことがあったんですが、
よくよく調べてみるとトイレはあったそうです。
平安時代の「桶箱」と同様のオマルタイプのものだったらしい。
こいつを使用した後は中身を廃棄しなければなりません。
どこに廃棄するかというと…
庭なんかに廃棄する。
2階や3階の窓から、「えいや!」と廃棄することもあったそうで、
窓下の壁にはシミがついちゃったとか。
しかも、トイレの数がかなり少なかったので、
パーティーの際には出席なさる貴族の方々は、マイオマルを持参したそうです。
一説には女性のスカートがあんなにふんわりと広がっていたのは、
ひとしれず、こっそりと用を足すためだったとか。
また、宮殿に限らず庶民の家にも常設のトイレはなく、みんなオマル。
やはり使用後は中身を廃棄する。
窓から道路に「えいや!」
人々は路上の「怪しからぬもの」を踏んづけた際の被害を最小限にするために、
ハイヒールやブーツを履いたというお話を聞いたこともございます。
また、日傘というのも空から降ってくる「怪しからぬもの」から身を守るために
使われたという話も…
そうそう、ロンドンの紳士たちが晴れでも傘を持ち歩いた理由は…
という説もあるとかないとか。
ベルサイユ時代のパリやロンドンはなかなかに「怪しからぬ」街だったようです。
(そりゃ、香水が発達するわな)
ベルサイユ宮殿が活躍(?)したのは、日本でいうと江戸時代。
そのころのおトイレ事情は、というと、
例えば、江戸の長屋なんかには共同トイレがありました。
落語で熊さんやら八っつぁんたちが住んでいたあの長屋です。
で、この共同トイレの生産物(?)は、大家さんのものです。
大家さん、なんでこんなものの所有権を持ったかというと、
売るんです。
都市周辺の農家の方たちが肥料として買ってくれんです。
まあ、買う、といっても、代金は農作物だったようですが。
町中の「モノ」は結構肥料価値が高かったようです。
栄養価の高いものを食べて、地方の人々ほどの過酷な肉体労働でもない。
「モノ」にはまだまだ栄養素が残っている。
だから売れる。
ただ無用物として庭やら路上やらに投げ出していたパリなんかと比べると、
非常にエコでSDGsです。
私の小さいころは畑の隅にはありましたなあ。
コエダメ。
絶対近寄ってはならん、と母からきつく言われたもんです。
そりゃそうです、ただでさえおっちょこちょいなんだから、
そんなものの近くをふらふらと歩いていて、ついうっかりはまってしまった日には…
大惨事です。
ふだんは母の言うことをあまり聞かなかった私ですが、
この戒めだけはきちんと守りました。
おかげで今、こうして無事で暮らしている。
よかった、よかった。
ということで、今回は『源氏物語』は無し。
ごめんなさい。
雑談が止まらないのだよ。
でも、この話題はこれでおしまい。
そうそう続けるべき話題でもありません。
さて、業務連絡。
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