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漂流教室 No.17 『万葉集』から  遊猟贈答歌

年末の「漂流教室 No.12」で『万葉集』を取り上げました。

一回やって放りっぱなし・・・

 

でも、実際の学校の授業では『万葉集』の歌をいくつか説明しました。

まずはこれ。

 

茜さす 紫野行き 標野(しめの)行き 野守(のもり)は見ずや 君が袖振る

 

額田王(ぬかたのおおきみ)の歌です。

額田王は女性です。万葉集の初期、西暦で言うと600年代ぐらいの人です。

1400年ほど昔のお方。

 

これくらい昔のことだとよくわからないことだらけ。

皇族だったという説もあれば、

いやいや采女(うねめ)であろうとか、

巫女(みこ)だっただろうとか諸説ある。

いずれにせよ、宮廷関係者であったことは間違いない。

 

「茜さす」の歌は大海人皇子(おおあまのみこ)に贈ったものです。

意味はこんな感じ。

 

茜色に染まる空の下 紫草を探して標野を行く私にあなたが袖を振っている

野の番人が見ていたらどうするの?   (訳・・・私)

 

標野とは宮廷直轄の野です。紫草なんかの薬草が生えている。

 

この日は天智天皇主催の遊猟が行われました。

男性貴族は鹿狩り。鹿の角は薬になります。

女性は薬草狩り。紫草は薬にも染料にもなるスグレモノです。

だから遊猟は別名「薬狩り」。

春のピクニックかな?

 

ピクニックの後は当然(?)宴会を開きます。

コロナ禍ではままなりませんが、現代でも屋外で一日遊んだ日の夜は宴会です。

 3月まで勤めていた「高等学校」というところは連休前や連休の間の平日に、クラスの親睦を図るために遠足に行ったものです。

よく歩いたなあ、よく遊んだなあ、と午後は早めに解散して、

我々教員は教員同士の親睦を図るべく、夕方7時頃に乾杯!

 

1400年前の宮廷貴族達と現代の教員達と、やることはほぼ同じ。

 

さて、この宴会の席で額田王が件の歌を詠んだと言われています。

先ほども申し上げたように、歌のお相手は大海人皇子。

時の天皇、天智天皇の弟さんです。

で、どうもこの遊猟の頃は額田王は天智天皇に寵愛されていたらしい。

 

そして、どうも以前は大海人皇子とお付き合いしていたらしい。

 

ん?

ということは、額田王さん、今カレの前で、元カレに、

「もう、私に手なんか振って。誰かに見られたらどうするの?」

と詠みかけたのか。

大丈夫かいな?

 

どうやら大丈夫だったようです。

 

いずれ宴席の戯れ歌。

しかもこのとき額田王も今カレ(天智天皇)も元カレ(大海人皇子、後には天武天皇)もみんなもう大人。

40代というあたりかな?

出席者全員ほどよくアルコールが回って笑いながら聞いていたんじゃなかろうか。

 

だから大海人皇子だってこんなふうに返します。

むらさきの 匂へる妹(いも)を 憎くあらば 人妻ゆゑに 吾恋ひめやも

 

紫草のように美しい君をどうして憎もうか 人の妻でも私は慕っているよ

(訳・・・私、かなりの意訳です) 

 

天智天皇もこうまで堂々と戯れられたら、笑うしかない。

 

私は額田王って、宮廷行事の節々でその時の状況に応じた歌を詠む歌人だったんじゃないかと思います。

いや、私のオリジナルの意見じゃなくて、そういう説は昔からある。

 

さてさて、しかしよく考えてみたら、なんでこの二首の贈答歌を教科書に載っけているんでしょうか?

だって、宴会のおふざけの歌ですよ。

 

でもまあ、1400年前の宴席の戯れ歌を授業で学んでいる国って、まだまだ捨てたモンじゃないと思います。

 

どうか学校の授業からこういう遊びが無くなりませんように・・・

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