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『大鏡』はおもしろいですよ。平安貴族たちの破天荒な日々。

前回は『大鏡』といいながら『史記』のご紹介でした。
今回は『大鏡』をご紹介します。

『大鏡』は『史記』が採用した紀伝体を取り入れました。天皇の本紀と藤原氏の列伝。でも、分量的には本紀は全体の十分の一強しかない。だから『大鏡』は、ほとんど藤原氏の伝記を紹介するための書物です。

当然、藤原氏寄りの記述が多い。おそらく藤原氏に非常に近い人物の手によって書かれたのでしょう。(藤原氏説とか源氏説とか、僧侶説とかいろいろ)特に藤原道長の活躍はこれでもかっ、と描かれています。また、この人がいろんなことをしてくれる。エピソードの宝庫のような人です。

ただし、『大鏡』は単なる藤原氏礼賛ではない。「いくらなんでも、藤原さん、それはあかんやろ」という記述も見られます。藤原氏という氏(うじ)は強くなりすぎていたきらいはある。

高校の教科書で有名な、花山天皇にまつわる話には藤原道隆、道兼、道長の三兄弟が登場します。兄弟というのは三人いるとおもしろいもんです。劉備玄徳と関羽と張飛の三義兄弟、田村高廣・田村亮・田村正和の田村三兄弟、NHK「みんなの歌」でブレイクしただんご三兄弟。
他には・・・思いつかん。

こんな話があります。
梅雨時の雨が激しく降る夜、花山天皇が若い貴族たちと夜更けまで遊んでいました。天皇が
「今日は、不気味な夜だなあ。誰もいないところへ行ける?」
と言い出した。
若い貴族たちは震え上がった、と思います。
平安時代、物怪はいました。現代人の感覚なんか持ちだしてはいけません。確かにいたんです。宮中も安全ではない。いやむしろ、内裏にこそ魑魅魍魎は潜んでいます。
「行けません!」
と、口々に返答する中で、ただ一人、道長だけが
「どこへなりとも行きましょう」
と答える。
こうなると、花山天皇も調子に乗っちゃう。
「道隆は豊楽院、道兼は仁寿殿、道長は大極殿へ行け」
と、長兄道隆、次兄道兼もとばっちり。三人ともそれぞれ誰もいない、つまりいかにも物怪のいそうなところに行かされる。
で、その結果は・・・。是非『大鏡』をお読みください。

その花山天皇が最愛の妃を亡くします。もう悲しくてたまらない。このとき花山天皇は19才。数え年だからいまなら17才?そりゃ、悲しいよなあ。
その悲しみにつけ込んで、三兄弟の父、藤原兼家が天皇の退位を画策する。
時の皇太子が兼家の孫なんです。花山天皇が退けば、孫が天皇になる。こういう立場を外戚と言います。平安時代最高の権力を手にすることを意味しました。
そこで、兼家は花山天皇の信任篤かった次男道兼を使って、言葉巧みに花山天皇に出家・退位を勧め、天皇は出家して愛妃の菩提を弔うことを決意する。
道兼は、天皇が出家したら、自分もともに出家して一生お仕えします、なんて嘘までついたそうな。
兼家は花山天皇一行が寺へ行くまでの護衛に源氏の武士をつける。天皇の身を守るためじゃない、自分の息子、道兼が勢いで出家させられたらエラいことなので、道兼を守るためです。この護衛の武士が源頼光だという説がある。酒呑童子(大江山に棲んだ鬼)や土蜘蛛(人食い大蜘蛛)を退治したという伝説の武士です。この頼光の部下、頼光四天王の一人が、坂田金時。幼名を金太郎という。そう、あの金太郎のモデルです。もしかすると花山天皇護衛部隊には金太郎さんも参加していたかもしれない、と考えると、なかなか興味深い。

この武士たちが、天皇ではなくあからさまに道兼を守っている。
この花山天皇の出家の顛末については、『大鏡』作者は「こりゃ、あんまりだ」という感想を漏らしています。まあ、誰の目から見てもあんまりです。

この『大鏡』と同じ時代を記述した歴史物語がもうひとつある。『栄華物語』です。こちらはひたすら藤原道長礼賛の物語で、道長に近しい女性の手によるものと考えられます。
ちょっと冷静な視点を持つ『大鏡』と、道長べったりの『栄華物語』。
読み比べると、なかなかおもしろい。

『大鏡』には、天変地異、大災害、流行病の様子、そして権力争い、暴力事件など、雅で趣深いはずの平安時代のどろどろの人間模様が描かれています。

『殴り合う貴族たち』(繁田信一著、文藝春秋刊)では、貴族たちの殴り合いや石のぶつけ合い、刃傷沙汰が紹介されています。貴族とはいうものの全然貴くはない。むしろ野生。私の愛読書です。

そんな野性味溢れる王朝時代、人びとは結構したたかに生きている。笑いも涙も恋愛もある。

さて、現代に目を転じれば、笑いと涙と恋愛と、天変地異と大災害と流行病、そして権力争いと権力者の傲慢なありさま。

平安時代とほぼ同じ。
いや、大災害や流行病に対する対処のまずさ(というか、やる気の無さ)では、平安時代以下か・・・。

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