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『愚見数則』を読んで
雑誌、表現者クライテリオンの同人ブログにて記事を執筆しています。
政治や経済に明るいわけでない私は、自分なりに、文化や藝術に想うことをコラムとして投稿させていただいています。
与えられているものがたくさんあるのにも関わらず、そういうものには目もくれずに、私たちは新しいことや刺激的なものを求めているところがあるように思います。君子の如く、授かったものをそのまま受け入れるためには、身の回りや、あるいは、授かりものに、託されたものにまず、気づかねばなりません。それが「命に安んずる」ために、授かったものに満足するために必要なことではないでしょうか。私は、君子になろうなどとは思いませんが、君子を敬います。それゆえ、その授かりものを発見したいと思います。
(中略)
『愚見数則』に記されている、漱石の数多の教えは決して身の処し方にとどまらず、どの様な時にも素直さ、潔さをもち、いつでも中庸を歩むことを伝えてくれています。この短い文章で、漱石は「胸裏の利刀を揮って」、間違いなく、美事に、私たちを真っ二つに割ってしまいます。割られてはじめて、私は自分がどのような人間か気づき始めます。