\鳥取大学一般公開講座/ 民藝という美学(2日目)
9月16日(2日目)
印象に残ったのは、民俗学と民藝論の違いにについてのお話でした。
民俗学は過去を検証する、歴史を正確にする、「こと」を知るもので、民藝論は今この時に民具を見る、「もの」を観るものだという説明でした。
1日目の講義を聞き終えて、民具と民藝品の違いについて疑問に思うことが多々あったので、2日目のこの話には特に興味がありました。
民俗学者の柳田國男さんと民藝の柳宗悦さんは、過去に一度だけ対談をしたことがあったものの、どうやら相交ることなく終わったようです。
講師の方によると、「平行線」というよりも「ねじれの位置」のような対談だったようです。対談は、民俗学者の柳田さんがかなりそっけない態度だったと伝えられていますが、私は何となく柳田さんの気持ちもわかる気がします。(対談が相容れなかった事には、政治的な背景もあったようなので、民俗学と民藝論の違いだけで考えることは短絡的すぎるかもしれませんが。。。)
その土地にあるものや人、伝説を観察し、記録し、学者としての立場(外側からの考察)で研究をした柳田さんからみれば、実際に民の中に入って民藝運動を展開していった柳さんに違和感を覚えるのも無理ないように思います。
鳥取では、吉田璋也という人物が「新作民芸運動」なるものを展開したそうです。民藝における「新作」とはどういうことなのだろうかと、またここで疑問が湧いてきました。この時点で既に、初めに「民藝」の名を与えられた器とは性質が変わっていはしないでしょうか。
民俗学と民藝論についてますます気になってきたので、パソコンで例の対談の資料がないか調べていると、『”民”の発見』という題の論文を見つけました。その中に染木煦さんという人の『北満民具採訪手記』から引用されたすごくいい言葉がありました。
この日私は、民藝というものは、民俗学的なところから出発した新しい分野であると思いました。講義を聞いていると、民藝運動において「民藝品」は、こだわった美学に基づいて発展してきたようにも思えます。柳さんが定められた規則の内容に異論はないのですが、民藝品や作り手にその規則を守るような方向性を与えた事については疑問を感じます。彼が美しいといったのは、何にも縛られない手仕事の工芸品でした。
既にあった、手仕事の工藝品の枠から(少し)外れて「民藝」は図らずも新しい分野として出来上がってきたのだと感じました。
・参考にさせていただいた論文
『人類学研究所 研究論集』第 2 号(2015)
“民”の発見 ――民具・民芸から民俗まで――
佐野 賢治(神奈川大学日本常民文化研究所)
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