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幸福の閾値は下げた方が良い。節約して余った金は投資に回せ。

インターネットで提唱されていることで、俺も内容は同意出来、実生活でも実践していることだ。 だが、これで行き着く先って、「人生はFIREというゲームのRTA」じゃないか?まあ、俺はゲーム好きだからそれでも良いんだが。 だが俺、このゲームで周りの一般プレイヤーに負ける気しないんだよな。 俺は入金力は医師として稼ぐつもりで、私生活は生活保護受給者レベルの生活を維持するつもりだし、リスクに気を付けて人並みの資産運用もするつもりだし、異性関係は全捨てしてるからそれに金は掛けないつ

    • 医学部再受験は、中二病的な欲求も満たせて人生の安全着陸も出来るコスパ最強の試みだ。

      前編 俺はずっと、普通じゃない生き方に憧れていた。noteではひたすら大学受験ネタを書いてきた俺だが、想像に違わず中学・高校は受験至上主義みたいな、いわゆる受験少年院に通っていた。 教師も周りの学生も受験に目線が向いている環境で、俺はそれが嫌だった。生まれた時から逆張りの心(中二病)だったから、みんなに合わせて決められた評価軸で勉強頑張るのがなんか嫌だった。 俺は、周りが想像してるような、良い大学入って良い就活して良い相手と結婚して家庭を築いて良い会社で働いていく人生は

      • 高校生が受験勉強を頑張り続ける理由はなんだろう

        大学受験において、noteで語られるキャリア論と現実に起こっている現象の両者で大きな乖離があると感じる。 noteでは、従来の学歴社会的なキャリア(大学名を看板に、JTCに入社し、ジェネラリスト的な働き方を通して社内での出世を狙う)は令和の社会に合わないと論じ、学歴を身に付けるよりむしろ、手に職を、ジョブ型の働き方が出来るような進路(国家資格職など)を勧める論調をよく見る。 最近も、激務的な職場と親和性のある東大文系という進路は、現代の若者のニーズに合わず、時代と合ってい

        • ☆医療系学科は面接弱者の救済になり得るのか。

          最近俺は、就活における学歴の無力性を嘆く記事を書いている。 今を生きる若者の俺の価値観では、現代社会の就活においては学歴なんぞよりも「コミュニケーション能力」の方が評価される。 面接の場での、聞こえの良いエピソードや、上手な立ち振舞いや、豊かな表情なんかの方が、多少の学歴の高低なんぞよりも重要だ。少なくとも俺はそんな認識をしている。 じゃあ、俺みたいな「面接弱者」はどうしたらいいんだよ! 高校生の時に、「今、受験勉強頑張ったら将来が楽になるよ、偉くなれるよ」みたいに言

        • 幸福の閾値は下げた方が良い。節約して余った金は投資に回せ。

        • 医学部再受験は、中二病的な欲求も満たせて人生の安全着陸も出来るコスパ最強の試みだ。

        • 高校生が受験勉強を頑張り続ける理由はなんだろう

        • ☆医療系学科は面接弱者の救済になり得るのか。

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          10本

        記事

          ガリ勉チーズ牛丼でもペンで成り上がりたかった。

          大学受験や資格試験で人生逆転。 なんとも心惹かれるフレーズだ。 俺のように対人コミュニケーションや人当たりや組織の中でやっていくことが苦手な人間にとっては、ペーパーテストで勝ち負けが決まる戦いが最も都合が良い。(一般社会ではそいつらの事を「無能」と呼ぶ) 俺は現代社会は言うほど「学歴社会」じゃないと思っている。というより、「大学受験での頑張り」というのが正当に評価されない、報われないと思っている。 だが、どうやらこの国はかつては「学歴社会」だったようだ。 リアルでは

          ガリ勉チーズ牛丼でもペンで成り上がりたかった。

          ☆大学の学科の偏差値は卒後のパフォーマンスを表していない。

          コスパの良い大学、コスパの悪い大学、こんなワードを見ることが多い。 コストには学費も含まれるのだろうが、主に、偏差値が低い(入学難易度が低い)割には就職状況が良かったり、高収入な職業に高い再現性で就けたりする、といった意味合いで「コスパが良い」と定義されているだろう。 俺は理系のことしか分からないため、この記事では主に理系の大学受験の話に限る。よく知りもしない文系のこと語っても間違ったこと書いちゃって、読者からの信用を失いかねないからな。 noteではやたらと東大vs医

          ☆大学の学科の偏差値は卒後のパフォーマンスを表していない。

          ☆Fラン大でぬるま湯生活をした結果、週5労働を体が受け付けなくなった。

          noteでも度々書いているが、俺は1度目の大学受験は大きな失敗をしてしまい、後期入試で近場にある地方国立大の工学部に進学した。入試成績で言うとトップ合格で、自分の持っている受験学力からしたら、あり得ない大学への進学だっただろう。(どうしてそのように過剰に大学名を落とすことになったかは、俺の個人情報にも関わってくるので、詳しくは隠させてもらう) いや、地方国立は厳密にはFラン大(所謂ボーダーフリー大学)ではないだろうという読者からの指摘の声が聞こえてくる。分かってる。分かって

          ☆Fラン大でぬるま湯生活をした結果、週5労働を体が受け付けなくなった。

          心の底から無職になりたい。

          無職になりたい。この社会から抜け出して自由になりたい。俺を縛るもの全てから逃げ出したい。 noteで若くして精神障害で生活保護を受給している人間を良く見かけるが、彼らが本当に羨ましい。俺が欲しいのは金でも世間体でもパートナーでもなく、時間なのだ。 どうやら生活保護を受給していてもインターネット回線とパソコンはあるようだから、俺のdlsiteのアカウント(メールアドレスとパスワード)さえ覚えていれば、そこから幾らでも購入済みのエロゲーをダウンロードする事が出来る。なんなら、

          心の底から無職になりたい。

          ☆中学受験と大学受験のせいで俺の人生は破壊された。

          最近、俺は社会に対する恨み辛みを書き綴る記事を毎日投稿している。 その様を見て、「あおいさん、もういいよ、大学受験の話は。もう終わったことだろう?そんなことより自分の殻から抜け出して一歩社会に出てみようよ!トークトーク(笑) てか、毎日こんな記事ばっか書いて痛々しいよ」 という反応を読者はしているんだろうなと容易に想像が出来る。 だが、ちょっと待ってくれ。俺と大学受験(ひいては医学部受験)の因縁はこんな気軽に解消出来るものではない。 その辺に関しては自分の個人情報にモ

          ☆中学受験と大学受験のせいで俺の人生は破壊された。

          ☆学びたい学問も、就きたい職業もこの社会には無かった。

          俺の学びたい学問は、大学の学部には無かった。 俺自身の興味は、日本における百合作品の起源(主に大正時代の乙女小説)やエロゲー黄金期など、自分の好きなジャンルの「史学」を自分の中で整理したいという欲求しか、学問に関わるものがない。 これらはギリギリ文学部に内包されるのだろうか。しかし、前者は兎も角、後者は年代が90年代以降のため、当時を知っている人間もまだ生きており、学問的広がりが薄いのではないかという指摘がある。 というか、そもそも両者を大学の講義で教えるようなことは殆

          ☆学びたい学問も、就きたい職業もこの社会には無かった。

          ☆就活の意味がよく分からない。

          (この記事は俺が再受験した半年後くらいに書いた文章です。) 本記事では、俺が就活に対して感じた違和感というか受け入れ難さを書きたい。俺がインターンに行ったのも実に2年前。時の流れは早いものだ。皮肉なことにもう「本選考」すら流れてしまった訳だが。(就活自体はエントリーすらしませんでした) まず、俺が就活というか日本社会及びその評価軸に対して疑問を持ってる点は「人気企業」やら「就職ランキング」、そして就活生自体の志向の2点にまとめられるだろう。 では1点目から。企業を人気順

          ☆就活の意味がよく分からない。

          ☆高年収だから、高学歴だからモテる訳ではない。

          未婚男性は多くは低収入層・貧困層に寄っているらしい。逆に高収入層の殆どは結婚しているし、男性医師の生涯未婚率は2%くらいらしい。(どこのデータか知らんが) 世間的に「まとも」な会社で働いていたら、インターネットで言われるほど、独身男性は多くなく、周りの大多数が既婚者なのだろう。 これらを理由に「弱者男性」とは金銭面的な問題だと言う人間は多い。 しかし、結婚している人間、モテている人間、恋愛に積極的な人間は高収入だからモテているのだろうか?(結婚に関しては前時代的考え方を

          ☆高年収だから、高学歴だからモテる訳ではない。

          ☆学歴には興味ないけど大学受験には興味がある矛盾した男(自己紹介)

          現代社会における学歴の意味とはなんだろう。学者などのアカデミア方向を目指さない一般人にとっては、社会的階層の逆転装置に他ならない。この社会において「上」の会社や職業への就労のチャンスを得るために、「上」の大学を目指す。まあ、これは本来の大学の学問の意味からは外れているが、社会で生きる人間の多くはこういう認識だと思う。 良い職業(これは定義が無いが上昇志向が強い人間が就きたがる仕事とする)に就きたいから、高学歴を目指して受験勉強を頑張る。 これは俺はある意味合理的というか、何

          ☆学歴には興味ないけど大学受験には興味がある矛盾した男(自己紹介)

          ☆非モテ男性として「女子枠」が許せない。

          京都大学においても、女性限定選抜枠が設置された。昨年の夏だったか、東工大でも同じような女子枠が設置され、その時も俺は1人で騒ぎ散らしたのだが、遂に京大でもか‥‥、という感じだ。 そもそも、女性限定選抜枠とは、元々女子率が極めて低い理工系学科に設置される。これにより、理工系のジェンダーバランスを改善し、女性であるということで理工系への進学を阻まれていた女子高校生を救うことや、理工系学科内で多様な視点で研究が進められるというメリットがある、のだろう。 というより、俺は自分の頭

          ☆非モテ男性として「女子枠」が許せない。

          ☆共通テスト(センター試験)の点数を国家資格にするべきだと思う。

          Twitterを眺めていたら、こんなツイートが話題になっているのを見た。 大学受験において、偏差値で選ぶのか、自分のやりたい事・学びたい事で選ぶのかの二項対立はよく議論される。 自分の学びたい内容を優先して、受験する大学の入学難易度やブランド名を下げる行為は、ある意味真摯な選択として好意的に捉えられることは多い。 まあ、実際大学は学問・研究の場であるならば、この行為は当然ではあるからな。 しかし、実際にこのような選択を取る人間は少ない。現実的なところ、自分の選びたい学部

          ☆共通テスト(センター試験)の点数を国家資格にするべきだと思う。