デジタル・ミニマリスト 本当に大切なことに集中する/カル・ニューポート
自粛生活でインターネットに飽きた。いまどきスマッホ(逆噴射聡一郎先生に敬意を示す)でなにをやるかといえばほとんどTwitter、次にInstagram、あとはSafariで通販をするだけなので、その3つに飽きたといえばほとんど足りる。僕は気が短すぎて映像をだらだら見ることができないのでYouTubeアプリを入れておらず、Amazonプライム・ビデオアプリも映画を小さい画面で見たくないのでiPadかMacBookか可能なら映画館にする。もともとニュースサイトも見ないし、まとめサイトも読まない。スマホゲームはすべて消した。それもこの本を読んでのことだ。
そもそも僕が小学生の頃(win95が学校に導入されてきていた)憧れていたコンピュータは、文字が自由に書けて、絵も描けて、音楽もつくれるし、世界中のどこの人ともタイムラグなしで連絡がとれて、いろんな国のサイトが見られて、なんでも調べ物ができる超クリエイティブでグローバルでダイバーシティなマシーンだった。それがmacOS Catalinaが搭載されたスマッホやらなんやら持った今では、Twitterで日本語を話す人とだけちまちまひとりごとを言い合い、かわいい犬の写真にいいねを押し、セールの洋服をまとめ買いするくらいしかできておらず、これがおれの求めたインターネット、おれの夢見た21世紀のコンピュータライフなのか…としばし茫然とする。
文章や絵などの創作のために使えるようにはなってきたが、それでも最終的にはなんだかそういうせせこましいインターネットで発表する感じになるので、やはり「リアル」で同人誌即売会や一箱古本市などに参加していかないとドライブ感が出ない。いいねや⭐︎やブックマークが可視化されるのがいまいち「この作品をなにがなんでも作りたく、発表したく、人に見せていいだろうと言いたいんだ、それだけなんだ」という初期衝動にそぐわないのも気になるところで、やりたくてやっていたのが途中から人気獲得のためにまずTwitterでfollowerを増やそうとか、⭐︎がつきそうな作品を作ろうとかの脱線を生んで面倒だ。そうじゃない、おれはただこの頭の中に生まれたこのキャラクターを、このフレーズを、ただおまえに見せたかっただけなんだ……。と思うのだが、そうストイックに製作と発表だけやると今度は誰にも見てもらえず、それはそれでヘンリー・ダーガーみたいな強靭で異様な精神力を必要とする世界になってしまう。
自粛生活は寂しいので、そうこう言いながらもTwitterのタイムラインを眺めて無為に過ごしてしまうのだが、なんというか、人々のオンラインWeb人格にしか触れられないということに急速に飽きがきている。もうちょっとプリミティブで雑で簡単なコミュニケーションをやらないとそろそろ無理だという感じが強い。一応時々出社してはいるが、さすがに会社の人だけとしか生身の交流ができないのはしんどい。では同居家族がいたらよかったのかというと実際は一人暮らしでよかったな…と思うのが本音で、ずっと同じメンバーで同じ家にいるしかないのはかなり厳しいだろうなと想像する。ああ、なんかランダムに、あっさりした、予期しない感じの、雑でどうでもいいコミュニケーションをとりたい…いやそんなものは自粛生活以前にも僕の生活にはなかったんじゃないのか…友達作るのって大人になると異常に難しいよな……。
ちなみにデジタル・ミニマリストには第二版全面オビに感想を載せてもらった。うれしい。