分析的森田療法
森田療法は、行動に着目する。内面的な葛藤とかには関与しない。大抵の医者はそういう。私は違うと思う。私が入院していた時、鈴木知準診療所のことだが、ある患者さんが言っていた。「何も考えないで作業すればいいんだよね」と。私は違うと思う。その人は対人恐怖だった。私も対人恐怖だった。私は当時身内にカウンセリングを受けている者がおり、精神分析的治療を受けていた。私は森田療法を受けていたが、自己の内面の洞察はとても重要だと思っていた。
当たり前だろう?何も自己洞察しなくて症状が改善するわけはない。のらりくらりと作業していて、ある時パッと治るのか?違うよね?森田の考え方は禅の考え方と似ている。とてつもない限界状況に置かれて、ある時やむにはやまれぬ状況下の中で、症状が改善する。
そういうことはどういうことか?かなりの精神葛藤があるはずだ!森田の考え方でも自己分析、自己内省はしているのだ!その治療法に表向きに出てこないだけだ。人によっては森田はそんな考えは持っていない、あくまで東洋的だと言うが、日本の古来の宗教は神教だ。八百万の神様だ!何でもありなのだ!
仏教的精神とか言うが、あれだって輸入されたものだ!おかしくなってきたな!笑。森田の考え方は仏教的で東洋思想があるが、とか言うけれど、あれだって古代のオリエントからの文化も輸入されている。どうのこうの言う人もいるが、私はまやかしだと思う。
結局は精神分析でも森田でも構わない。なんでこんなハチャメチャなことを言っているかと言うと、私はボーダーラインも統合失調症も経験している。ちゃんぽんのめちゃくちゃ療法でやらなかったら成立しなかった。接ぎ木に接ぎ木を当ててるような、とんでもない状態の中で私は自分を治療した。
Twitterの中でも、森田の考え方で私の友人で複雑系PTSDを克服しようと頑張っている人がいる。彼は解離性健忘も経験している。大変なのですよ。そうするとどうするのか?森田の既存の理論では通用しないことが生じる。どうでもいい形でも無理やりでもどうにか森田の考え方を応用しなければならない。
私は思いますよ。理論で理屈を言って森田のことを評価したつもりになっている人たちがいる。遊びじゃないんだよ。実際に使えなければただの机上の空論だ。だから日本海軍は負けたんだ。最初から負ける戦いに玉砕覚悟で挑んだんだ!最後は特攻兵器の登場ですか?笑
特攻隊を持ち出すまでもなく、理屈では何とでも言えるんだ。実際の条件の病気のことなどは複雑極まりない。あれが適用されるとか適用されないとか、そんなことはどうでもいいんだ!使えても使えなくても無理やり使うんだ!自分の持ち駒として歩であっても王将に挑まなければならない。めちゃくちゃな論理だが、少ない脳みその中で200%で活動しなければならない可能性もあるのだ!
人の能力は無限大。やろうと思えば何でもできる。しかし理屈でもってそれを制限する人たちがいる。理論派の学者たちだ!彼らの言うことは理論であって実際ではない。実現不能のエンジンを作って、最高の車ができたと言っているような話だ!陳腐なのですよ。
精神病とか精神障害の実際は全くよくわからない。薬なども飲んでみないと実際の効果は全然わからない。患者は自分をモルモットにする。私も何回もモルモットになった。そのモルモットはいつか本当のモルモットになる。自分で生きる力を得る。魂の昇華だ!
その見えないものを見るとき、心は転換する。自分の力ではなく心の内面から。私は経験した....。そのような考えから今の考え方を述べている。それは理屈ではないのだ!実際の神の心だ。神は存在する。あなたと私の心に....…
それは分析的でもなく、包括的でもない。ただあるのはその中点。絶妙のバランス.........
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