<逢いたくていま>が私の音楽
私の日常は、音楽とともに成り立っている。
Youtubeや数年前に家族がダウンロードしてくれたSpotifyで音楽をかけて、私の一日はやっと始まったような気分になる。
大学の課題をしているときも。ぼんやりTwitterを見て暇つぶしをしているときも。noteを書いているときも。
ふとしたときに音楽が聴こえないと物足りない。
なぜ物足りないのか。なぜ音楽を聴きたくなるのか。
それは、親が運転していた車の中でかかっていた曲を聴いた思い出があるからだと思う。
日本にいた頃は、両親が好きなCDをツタヤで借りて、車で流していたプレイリストをずっと聴いていた。母が時間をかけてダウンロードした曲を父が好みじゃないからと勝手に消して、母が啞然とした後に怒っていたこともあった。
海外にいた頃は、CDの代わりに地元のラジオを通して、当時のはやりの曲を聴いていた。クリスマスの時期は2週間ほど前から飽きるほどに繰り返しクリスマスソングが流れていたのだが、さすがに誰かが苦情を入れたのかある年からクリスマスの日にしか放送されなくなったので、それはそれでしっくりこなかったのを覚えている。
最近まで数年間、曲を聴いていたのは車から流れるプレイリストやラジオからがほとんどだった。
おかげで今のSpotifyでのプレイリストは、1/3が当時両親の影響でよく聴いていた曲で構成されている。題名を知らなくても、Spotifyのおすすめからプレイリストに入れた曲が実は両親の聴いていた曲だった、というのは多い。
両親が聴いていたから気に入った曲も歌手も、沢山あるしいる。
思い出を通して私の「好き」が増えていく。
家族とつながっているような気がして、私はそれが少し嬉しい。
同じような経験がある人って、多いのではないだろうか。
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そんな私が一番思い入れのある曲を挙げるなら、MISIAさんの<逢いたくていま>だ。
この曲とは、母が当時車で流していたMISIAさんのCDで出会った。
MISIAさんの曲なら、<アイノカタチ>も好きだ。だけど、初めて心から好きになった曲だから、一番「思い入れ」がある。
一目惚れのような感覚だった。「一耳ぼれ」とでも言うのだろうか。
初めて聴いたときから、もう何度聴いたかわからない。
上手く歌えもしないのに、カラオケでは必ず歌う。
今までもこれからも、ずっと聴き続けるであろう曲のうちの一つ。
まず曲名がいい。<会いたくて>ではなくて<逢いたくて>なのも好きだ。更に<いま>をひらがなにすることで、全体のバランスが取れている。
英語の歌詞を入れていないのもいい。英語を入れる傾向の多い日本の曲にしては珍しいが、日本語の良さを最大限に生かしていると思う。
「逢いたい」と繰り返しているのもいい。別れによる2度と会えない辛さと相手への消えない想いが協調されている。MISIAさんの力強い歌声によって、悲しみや切なさがこみ上げてくる様子が伝わってくるようだ。
私が一番好きなのは、この部分だ。
『ここにいて』と そう 素直に 泣いていたなら 今も あなたは 変わらぬまま 私の隣で 笑って いるかな
この歌詞を聴いたとき、衝撃だった。
こんなまっすぐな想いが、私にはただひたすらに眩しかった。いや、だからこそ、余計に心に響いたのかもしれない。
この歌詞があったからこそ、私はこの曲に惹かれたのだと思う。
ただ、私はまだ別離の経験がないから、この曲に心から共感したことはない。
私の好みであるだけだ。それが少し悲しい、と思う。
いつの日かこの曲の良さが心から理解できるぐらいに、私は成長できるだろうか。
そんな日が来たらいい。そんな日が来るのを、楽しみにしている。