
鏡を見て「これがなりたかった自分か」と考えるとき
夜勤明けの朝、ふと鏡を見つめる。
疲れのせいか、目の下にはくっきりとしたクマができている。
髪は乱れ、制服には少しシワが寄っている。
そんな自分をじっと見て、ふと考える。
「これが、私がなりたかった自分なのか?」
介護士として働き始めて、もう何年になるだろう。
毎日入居者様の生活を支え、食事を介助し、排泄の世話をし、時には怒られ、時には感謝される。
身体を張って、心を尽くして、目の前の人の人生に寄り添う仕事。
だけど、時々思う。
「私は、この仕事を心から選んだのだろうか?」と。
介護の仕事は決して楽ではない。
体力的にも精神的にも負担が大きいし、給料だって決して高いとは言えない。
入居者様やその家族との関係に悩むこともあるし、職場の人間関係に疲れることもある。
「ありがとう」と言われることもあれば、「遅い!」と怒鳴られることもある。
そんな毎日の中で、ふと鏡を見た瞬間に、自分自身に問いかけてしまうのだ。
この道を選んだ理由
介護の仕事を始めたきっかけは、人それぞれだろう。
家族の介護を経験したから、誰かの役に立ちたかったから、資格を取ったから…。
私も、最初は「人の役に立てる仕事がしたい」と思っていた。
でも、現実は想像以上に厳しく、思い描いていた「やりがい」だけでは乗り越えられない壁がいくつもあった。
それでも続けているのは、やはりこの仕事が好きだからだと思う。
確かに、毎日が大変で、報われないと感じることもある。
だけど、入居者様の「ありがとう」の一言や、小さな笑顔に救われることがある。
認知症の方が、自分の名前を覚えてくれたとき。
何気ない会話の中で、「あなたがいてくれてよかった」と言われたとき。
その一瞬が、すべての苦労を忘れさせてくれる。
理想の自分と現実の自分
若い頃、私は「もっと輝いている自分」になれると思っていた。
テレビドラマのように、かっこよく働き、誰かに憧れられる存在になれると。
だけど、現実は汗まみれになりながら入居者様を支え、排泄介助をし、ナースコールに走る毎日だ。
それが「輝いている自分」なのかと問われると、正直わからない。
でも、もし過去の自分が今の自分を見たら、なんて言うだろう?
きっと「大変そうだけど、頑張ってるね」と思うんじゃないだろうか。
私は誰かに憧れられる存在ではないかもしれない。
だけど、目の前の人を支え、誰かの生活を支えていることは事実だ。
「なりたかった自分」とは?
鏡を見つめながら、改めて考えてみる。
「なりたかった自分」って、完璧でかっこいい自分のことだったのか?
それとも、人の役に立ち、誰かに必要とされる自分のことだったのか?
もしかしたら、私はもう「なりたかった自分」になれているのかもしれない。
理想とは少し違っていたとしても、今ここで誰かを支え、誰かに「あなたがいてくれてよかった」と言われる存在になっている。
鏡の中の自分を見て、少し笑ってみる。
疲れているけれど、誇れる自分がそこにいる気がする。
「これが、私がなりたかった自分なのか?」
その答えはまだわからないけれど、少なくとも私はここにいる。
そして、今日も誰かのために働く。
それだけで十分だと思える日が、いつか来るかもしれないから。
最後までお読みいただきありがとうございます。