西洋哲学の巨星、スピノザ生誕–1632年11月24日–
こんにちは、Guttiグッチです。
今日、11月24日は、われらが哲学者、バルーフ・デ・スピノザの誕生日です。彼は1632年11月24日、オランダはアムステルダムで生を受けています。
私自身が、この哲学者に魅了されてからどれくらいの年が経ったでしょうか。いまだに彼の著作を読み、追いかけ、そして今もこうしてnoteの記事として書かせて頂いています。
よくもまあ、一人の哲学者にここまで執着し飽きないものだなと自分でも感心するのですが、飽きないのですよねえ。飽きないどころから、ますますその深みにはまっていく、そんなイメージです。
もともと私には、「この世界」をもっと知りたい、「この私」がよりよく生きるためにもっと知を楽しみたいという思いがありました。その探究のための指針、ガイドとしてスピノザに寄り添ってみたのですが、寄り添おうと思った相手はあまりにも巨大すぎて、その人自身のことをもっと知らなければとなったのでした。
ただ、どんな学問をやるにしても、勉強をするにしても、何か一つのことを徹底してやるということは、必ず普遍的なものへとつながっていく、という信念のもと取り組もうと思っています。なので、私にとってスピノザ哲学への関心は、世界を知ろうという探究とほぼ同義なのです。
若い頃はそうではありませんでした。オレはもっといろんなことができる、もっといろんな知が扱える、などと過信して、あらゆる知の領域、学問に手を出してやろうなどと意気込んでいたものですが、まあ、そんなものは物理的にも時間的にも不可能なわけです。
そして何もかもが中途半端なまま40歳という年齢をむかえてしまい、さてどうしたものかという時に、やはりあれもこれも求めてはダメだ、スピノザならスピノザで、徹底してそれだけを追いかけてみようと思ったのでした。
もちろん、本当にスピノザだけ読んでいるというわけではありません(笑)。やはり哲学、文学、科学、歴史、民俗学、言語学、政治学、法学と、私が勉強したい領域は山のように溢れていますので、それらにも寄り道しつつ、だけどマインドとしては、何か一つのことを究めたいという心意気でやっています。
今の私の目標は、スピノザをラテン語のテクストで読むことです。そのために必要な語学の勉強、英語のやり直しを前提としつつ、オランダ語、ラテン語という感じで広げていきたいと思っています。ラテン語、オランダ語をおさえておけば、ラテン語とオランダ語で書かれたスピノザ全集『ゲプハルト版』が読めるためです。
これはかなり時間を要することと思っていますが、老後も見据えての夢であります(笑)。
そしてもう一つの夢というか目標が、スピノザが生まれたオランダの地に行くと。彼の生家が残されているハーグに必ずいきたいと思っています。一人旅であれば、そこまでお金のかかるものではないので、本気で行こうと思えば行けるのでしょうが、なかなかお金が貯まりません(笑)。本気度が足りず、世俗の誘惑に流されているということなのでしょう。
スピノザ生誕の日に、記事をアップということで、最後にスピノザに関するエピソードを一つ。
下の写真は、スピノザ全集にも刻印されている、スピノザの指輪の印章です。BDSはスピノザの名前(Benedictus De Spinoza)のイニシャルで、真ん中の花はバラです。ポルトガル語でEspinosaは「棘のある」という意味があるようで、Spinozaは自身の名前とかけてバラをチョイスしたのでしょう。
「棘」というのは、スピノザその人および彼の哲学を表すのにふさわしい言葉に思えます。そして「CAUTE」とは、気をつけて、用心せよ、という意味です。これは自分自身への戒めとして、世間は自分を異端人物扱いする狼ばかりだから気をつけよという意味にもとれますし、オレに近づいたらこの棘で刺しちゃうよ、「気をつけよ!」と他者に向かっての言葉ともとれて、興味深いです。
確かに彼の哲学、思想には、棘で刺すような危険さがあります。しかし薔薇の花のような美しさも備えている。その両義性こそがスピノザ哲学の魅力だったりします。
これからも、私のnoteでは、できる限りスピノザの魅力を伝えていくために、あるいは自分の表現したいことの手助けとして彼の哲学を支えに、記事を書いていければと考えています。