宗教や信仰についての雑記 #294
◯アレルギーと社会
また私事ですが、私はアトピー性皮膚炎や気管支喘息といったアレルギー疾患を持っています。
このアレルギー疾患の原因は、まだ完全には解明されていないそうですが、遺伝的な要因のほか、ごく大雑把に言えば、環境の急激な変化に人体の免疫システムがついてゆけずに変調をきたし、本来無害なはずの物質にも過剰に反応してしまうことによるそうです。
またこの疾患は心理的なストレスによっても症状が悪化することもあるそうです。
そこまで考えたときに、この疾患は、疑心暗鬼による軍備増強や特定の国や民族への差別・ヘイトスピーチに似ていると思いました。
これらの社会現象も、ある特定の国や民族を敵であるとか自分たちに害をなすものとかみなして反応することによるものでしょう。
これらには自己と他者との関係についての認識の歪みという共通点があるように思えます。
それは自分にとって本当に害となるもの、避けるべきものは何か、ということの認識の歪みでもあります。
裏を返せば、それは自分にとって本当に必要なもの、重要なものについての認識の歪みでもあり、つまりは自己認識の歪みでもあります。
そしてまた、アレルギー疾患がストレスによって悪化するのと同じように、経済的混乱や不透明な未来への不安などといったストレスが社会全体に蔓延すると、その自己認識の歪みは悪化してしまうようです。
アレルギー疾患の原因に関して、衛生仮説というものがあります。これは、アレルギー疾患や自己免疫疾患の増加が、現代社会における衛生状態の向上や感染症の減少に関連しているという考え方です。この仮説は、特に子供の頃に微生物や感染症にさらされる機会が少ないことが、免疫系の発達に影響を与え、アレルギーや自己免疫疾患のリスクを高める可能性があると提唱しています。
ただこの仮説も全てのアレルギー疾患に当てはまるものではないそうですが、それも原因のひとつと仮定した場合、それを上記の自己認識の歪んだ社会に当てはめるとどうなるでしょう。
そのアナロジーとして言えるのは、子供の頃に多様な考え方や価値観に触れる機会が少ないと、多角的なものの見方ができなくなり、自己と他者との関係についての認識が歪んでしまう危険性が高くなるということになると思います。
そう考えると、近年話題にのぼっている「宗教2世」は重大な問題を孕んでいるのではないでしょうか。
子供の頃に、特定の宗教の価値観や世界観しか見せないことは、将来偏ったものの見方をしてしまう危険性を招いてしまうと思います。
それは、信教の自由という子どもの人権を侵害することだけでなく、将来その子に他者の人権を侵害させてしまう危険性をもたらすことでもあります。
そのことは、病的な社会を招く原因のひとつとなってしまうような気がします。
無論、衛生仮説はあくまでも仮説であって、それがアレルギーの原因の全てではありません。ですからそのアナロジーとしても、疑心暗鬼による軍備増強や特定の国や民族への差別・ヘイトスピーチといったことへの対応は上記のようなことだけではないでしょう。
ただ、自己認識の歪みによる過剰反応への警戒は、一人ひとりの自覚によって防ぐことが可能なことでもあると思います。
アレルギー疾患は、本来自己の身体を守るはずの免疫機能が、過剰反応により本人の身体を障害してしまう病気です。それと同じように、自己防衛の過剰な社会は、その社会自身を傷つけてしまうのではないでしょうか。
まずは、自分自身の心の内をよくよく観察してみることや、異なる価値観を持つ人との対話を大切にすることから始めてみることが大切なのだと思います。