閑話休題 懇談で保護者が聞きたい話ってなんだろう?
懇談というのは、教師の側も保護者の側もお互い嫌なもんである。それは間違いない。教員もイヤ、保護者もイヤ、子どももイヤとなるとだれのために行っているのかよくわからないのだけれども、なぜだか必要だということが共通理解となっている。懇談でダメなのがお互いを責め合うコミュニケーションであることはわかりそうなもんなのに、なぜかそうなってしまうことが多い。それが始まってしまうとどちらかが我慢するという楽しくないコミュニケーション形態にならざるを得ないのが大人の悲しいところである。こうした揉め事というのは女の子にありがちなシチュエーションであることは割と周知されている。子どもの場合は割と素直に嫌だと言えるのでけれども大人の場合は一方的に我慢するしかない。言い始めて言い続けた方の勝ちみたいな謎のルールが存在してしまいます。
そもそも話を聞いて相手がどう感じるかを忖度することはたいそう難しい。それが教育がコミュニケーション労働といわれる所以であるのだが、どうも教員の中には決め打ち、つまりアガリの役を決めてそれが出るまでしつこくこだわる麻雀の打ち方、をするタイプが多いように感じます。もしくはベタ降り、つまり最初から勝つ気はなく相手をあがらせなければよいという捨て牌の選択だけをする、を選ぶことも多いようです。
しかし私が推奨するのは本筋で言わなければならないことは言うのだけれども、それをなんとかオブラート三重ぐらいに包んで包んでなんとか柔らかくしていこうというコミュニケーション手法を取れないものかと思案するところなんです。最も避けたいのは毒にも薬にもならないような話でお茶を濁すのだけはよろしくないということです。
もちろん基本的には保護者を励ましていかないことには信頼関係にはつながりません。しかしそれはおべんちゃらや嘘褒めを指す事ではありません。特に小学校というのは受験による縛りや抑圧が少ない上に6年間という期間の長さにその特徴があります。こうした間柄というのはなかなかあるもんではない。保育所であっても0歳児からいなければそうもいかないもんです。それが小学校では全員フツーにある。これから増えるであろう小中一貫校ではそれ以上のお付き合いになるわけです。しかし私学のように望んで、選んでというわけではないのが公立小学校です。その縁にフィットしながらなんとか高めていくというのはコミュニケーション労働としての腕の見せ所であるということなんです。
互いに学校にはなんのゆかりもない教師と保護者が子どもを真ん中に置いてどう育てていくかというのは懇談での承認と合意なくして進むものではありません。しかし最もあってはならないのは特定の教員・保護者への賞賛及び非難であるということについてどこまで腹を割って話をする事ができるかという事なんです。
それは保護者と教員の関係性だけではなく、教員同士、保護者同士でそういう間柄になってはならない、そういう土壌を作ることについて普段から話題に上らせておく必要があるということなんです。ミョーに理解があるのもダメだし、イガイガと攻撃的になるのもダメ。ちょうど良い距離感であり緊張感であることついて気を配っていくということなんです。
そういうことを考える前提で保護者にするべき話ということになるのと思います。それが保護者の聞きたい、そして教師の聞かせたい話になるのではないか?そうなって欲しいということです。聞きたい話が聞かせたい話になるということはおそらく奇跡に近いのだけれども宗教においてはそうした事が起こっている。信じるということはそういうことだからです。
とにかく努力によって信頼を勝ち取る、勝ち取らせるということであるためにはとにかく結果でコミットしていくしかないのではないかと思います。
なんだかいつもの通りマニュアリックにこういう話をしましょうみたいなことにはならないです。申し訳ない。しかし重要なのは情理を尽くすということなのだろうと思います。そうしてなんとか合致していく、信頼されすぎず、さりとて離れすぎず。おそらく失敗して信頼を失うこともあるでしょうけれど、そればかりを恐れてはいけない。相手におもねってしまうとコミュニケートとして質が低下していくということなんです。
譲ってばかりいる事が教育ではない。さりとて強要する事ばかりも教育ではない。では何が教育なのか?そうした哲学的な問いの深まりの過程の中にだけその思考空間が存在するという事です。
結局ただ互いに納得することだけの納得解や最適解にはさほどの力はないということです。失敗しても良いからオリジナル解、ラテラル解、チャレンジ解を理解してもらえるような情理、つまり情に訴え理屈を建てることを懇談で挑む覚悟なんではないかと思います。
失敗しても大丈夫。悪いのは管理職です。
保護者の方におかれましてはそうした努力をしている教員をきちんと見てほしいと思います。