吹田市役所の遣り口

 結果さえ自分たちに都合が良ければ過程になど興味はない。
 役所や議会などそういうものです。
 小学校の統廃合問題というのは市町村レベルにとっては頭の痛い問題です。特に都市部では地価や人件費、光熱費の問題に直結するからです。
 これは都道府県レベルでは高校の統廃合に当たります。田舎であれば多少は許容できますが、限界や消滅というキャッチーなフレーズを使ってここにもメスをいれようとする連中がいます。おそらくコンサルの入れ知恵なのでしょうが、コンサルにとっては一瞬搾り取れれば、一つアイデアが出せて契約期間が伸びれば、というコンサマな思考に過ぎません。

 これは絶対公共的な所が持ってはいけない思想です。効率だけの発想に乗らないというのは公的がもつ非常に根源的な条件だからです。じゃ何に乗るのか?住民の公平な幸せなのですが、この公平が曲者になります。もし完全に公平であるならそもそも選挙の一票に格差があること自体が問題ですし、東京だけが交付金なしで経営していることも問題です。これは同じ自治体内でも起こることで地区ごとに争うことは限界集落の方がキツイ場合も多い。
 吹田市にとってもこの話になってしまった。全校生徒200人前後の小学校というのは全国には結構多いらしいです。特に都市部はこうした学校が統廃合のターゲットになります。
 反対する動きが形になる前に何とかしようとするということなんでしょう。結果ありきの形だけの説明会であることを公言するわけにはいかないのでしょう。そもそも新規学校建設の場合半分が国からの補助金ですし、都道府県からの補助金もあるので市町村の持ち出しはある程度抑えられます。統廃合によって予算が圧縮できれば、老朽化した建物を新しくできることも手伝って一石二鳥です。また新しい学校と新しい教育への取り組みをアピールできれば三鳥です。そこに子どもや保護者の利便性や感情への配慮は二の次になってしまいます。

 もちろん全ての市民の感情を相手にすることはできないとしても、どこまで配慮し誠実に対応するかは役所の人間にとって腕の見せ所であるはずなんですがね。

 ここで一つのやり口としてデメリットを抑えるためにメリットだけを声高に主張するというやり方があります。しかし本来これは全体がより客観的に按分された上で俎上に上るべき話だし、実際にやってみてうまくいかない場合には即方向転換が可能になっている設計が必要になる話です。日本の行政システムのようになし崩しにした後意味もなく固定化して放置する形が常態化している「なし崩しの結果を意味づけに使う」やり口にはとても対応できるやり方ではないことを自覚すべきです。

 ここでも述べた事前の民意の発露というのはこうした役所に遣り口に対して有効に作用するのではいうことです。

 今のお役所システム上、自分でルールを決めて後出しジャンケンをする役所に市民が対抗する手立ては基本的に残されていません。基本的に役所と連動している議会も同様です。いかにネット上で勇ましいことを言っていても役に立たないということです。この場合後出しジャンケンをされた後に市民が騒いでも時すでに遅しということは過去に何度もありました。

 自分にはそんな不具合は降りかかってこない。そうした人間にそうした不具合は向かってくるんだろうなということを感じたわけです。

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