憧れの服装
仕事に行く際、いつも黒の革靴を履き、ワイシャツ、ネクタイにスーツを着て、毎日出勤した。
43年間ほぼ同じ服装だった。
省エネが言われ始め、夏は暑いながらもノーネクタイで多少ホッとした時期もあった。
このスーツの服装がともかく嫌で嫌で仕方なかった。
朝、出勤途中に、近くの老人が麦わら帽子に野良作業用のナッパ服を着て、畑に通っていた。
その姿を羨望の眼差しでいつも眺めていた。
そう、世界の大空を舞うCAを目指す、J◯LやA◯Aの制服を見てうっとり夢見る乙女のように、、、
老人は、ズボンの後ろにタオルをぶら下げ、足には地下たびを履き、腕ぬきをした手には鍬を提げていた。
まさに憧れの服装だった。
毎日こんな格好で働けたら最高だよなといつも思っていた。
スーツでなく、せめてジャージにTシャツとか、ジーパンに皮ジャンとかにならないものかと思っていた。
が、現実の仕事がらそんな格好は問答無用、話しにならなかった。
退職し、仕事を辞めると即、ネクタイ、スーツを捨てた。
もう結ぶことも、着ることも、無いだろう。
なんら後悔も惜しいとも思わなかった。
以前から是非受講したかった緑化団体の剪定研修に応募した。
めでたく受講可となり、服装として地下タビが必要とあった。
あの憧れの地下タビが履けるのかとめちゃくちゃ嬉しくなった。
直ぐに靴屋に行った。
が、そんなもんはここでは売って無い、ホームセンターに行けと言われる。
靴とちゃうんかい?!ま、確かに名前のとおりタビだわな。
ホームセンターに行くと、陳列棚に置かれた地下タビの箱をみて、憧れの女の子と会う気分になった。
しかし、服の脱がせかたがよくわからない。じゃなかった!地下タビの履き方がわからない。
箱には12枚、10枚、5枚とサイズの横に枚数が書いてある。
一つの箱の大きさは同じなのにどうみても12枚も入っているようには見えない。
厚みが違うにしても何故5枚の奇数になるのか?右左で1足の単位だろうから、タビは枚と数えるのか?
箱の中を恐る恐るのぞいてみた。
12枚、5枚と書いてある箱の中には、予想に反し左右一足づつのタビしか入っていなかった。
「?」
どうやら数字の違いはタビを止める金具の数らしいと気づく。
しかし、なおも初体験は続く。
箱から出した地下タビを履こうとすると、ナント普通の靴下じゃ履けない事がここで初めて判明する。
足の指を入れる箇所がそれぞれ分かれているので、靴下の指先も割れてないとダメやん!
地下タビを箱に戻し、またしても、買わずにそのまま外に出る。
ホント欲しい物は、簡単には手に入らぬもんや。
今度は衣料品店に直行。
もう言われんでもわかるでえ。
軍足?ちゅうんか手袋と同じように足の指ごとに分かれているやつや。
こんな靴下を買った事も無かったが、買ったばかりの指割れ靴下を履いて、今度こそとウキウキ気分でホームセンターに戻る。
もう憧れのゴールは目の前や。
ホンマ焦らしてくれるわ。
サイズを選び、金具を止める。
なんか昔初めて買って履いた時のスキー靴のようで、ちょー嬉しい。
鏡に映った姿を見て思わずスキップしそうになる。
まるで初めてランドセル買って貰った時の孫みたいやなと、鏡の向こうの自分が話しかける。
地下タビの用途は、長靴と同じように泥だらけになるのが当たり前なのに、なぜか新品の革靴を買った時のように扱う。
雨降った後にも、土を扱う時も汚れるようで履かない。
「ン?」
自分でも、コレ今使わんとちょっとおかしいなとは思いつつ、初のお披露目は研修の時に履こうと、大切に靴箱にしまっておく。
いよいよ待ちに待った研修一週間前。
不覚にも自転車から落馬、ちゃう落下し右膝を骨折する。
あえなく、出走取消、もとい、無念の研修不参加となってしまった。
「すみません、ちょっと足を骨折したので、研修には参加できそうにありません。ちゃんと地下タビは買ったんですけど」
「それは、悪かったですね。残念ですけど、この研修は今年で終了なんですよ」
「えっ!もう無い!?」
あれ以来、憧れの地下タビは、箱に入ったまま世に出ず眠っている。
結局、憧れだけで、縁が無かったちゅうことかいな。
せめて研修を、タビだけに、たびたびやって欲しかったわ。