10億あるもうひとつの世界『異常アノマリー』エルヴェ・ル・テリエ
ラジオで早川書房の営業の方がものすごく熱心におすすめていたので読んでみることにしました。ネタバレ厳禁で本の魅力を伝えるのは大変だったと思いますが、ここに読者が一人増えたのは結果がでたと言えるでしょう。
『異常アノマリー』エルヴェ・ル・テリエ 加藤かおり訳
小説の中で習近平とマクロンは名前が出ているのに、アメリカの大統領の名前が出てこないのはなぜだろう。トランプに噛みつかれるのを警戒しているのかも知れません。その作中でアメリカ大統領とされる人が「べらぼうに大きな数字を持ち出すのはやめてくれ。さっぱりわからん。政府の多くがそうだ。数字をはしょって説明をつづけろ」といいます。トランプが言いそうなことですが、物語はトランプの苦手な数字と確率によって構築されているようです。私のこの今生きている瞬間も10億回のシュミレートされた人生のうちのひとつに過ぎないと考えると恐ろしさがあります。
パリ発ニューヨーク行きの飛行機に乗った243人の内、大きく人生が変わった11人の乗客の人生を描いています。106日の間に確率でいえば4.5%が、さらに1人の人間の10億ある人生のなかであると考えると天文学的に低い確率の人生となります。それぞれがエルピス希望をもっていると思うのですが、もう一つの人生にジャンプしても多くは変化なしなのです。変わってもそれが幸せであるかそうでないかはわかりません。作者はエルピス希望は虚しいものだと言います、そこにはものすごく冷静な視線があります。
そのへんの陰謀論やファイクニュースをぶっとばす展開をみせるのですが、小説の構成はアガサ・クリスティの『オリエント急行の殺人』ににているなと思いました。小説の中盤に登場人物の聴取があるところと、乗り物が舞台であるところがです。となるとポアロ役は確率論学者のエイドリアン・ミラーになるのでしょうか。この「ハゲかけて劣化したライアン。ゴズリング」「貧乏くさくて締まりのないジョン。キューザック」といわれたい放題の男と位相幾何学研究者メレディスのコンビが最高にたのしいのです。2人のだした結論「人生とはたぶん、自分に人生など無いと悟ったときに始まるものなのだ」に共感しました。
エイドリアンがメレディスに抱いた恋愛感情の成就する可能性を「酔った状態で27%、酔ってなければ40%ただし酔は拒絶からくる痛みを60%減じてくれる」と予想しました。結果は27%を上まりました、人生こうゆうこともあるのです。
軍人のクラークが妻となるエイプリルに愛を伝えるために送った詩が出てきます。
「ベルを鳴らそう
かくれんぼしよう
僕は四月の頬に口づけした
やさしい四月、影を帯びた四月
おお、ぼくの甘美で残酷な女性
パステル色に花咲く四月
凍てつく嵐にとらわれた四月
甘美な四月、まどろみを誘う暖かさ
四月、ぼくはきみに焦がれている」
そのやさしい、影を帯びたエイプリルが結婚して子供も生まれたあとにある詩人の作品を写しただけだったことを知り、怒りに涙するエピソードが出てきます。知らないほうが良かったことはたくさんあります。アメリカやフランスそのた多くの国は事件のことを公表しましたが、中国は隠蔽しました。正しいことではないかも知れませんが、正解だったのかも知れません。
スティーヴン・キングの『ランゴリアーズ』に出てくるロサンゼルスからボストンへ向かう飛行機がもうひとつの世界へ行く確率もエイドリアンに計算してもらいたい、彼なら四の五の言わずにやってくれそうです。