ジョン・アーヴィング『オウエンのために祈りを』
つい先日、ジョン・アーヴィングの小説『あの川のほとりで』を読みました。彼の小説を読むのは初めてでした。ものすごく面白い小説で、すぐに次の作品を読みたくなり、図書館で借りてきました。なぜ『オウエンのために祈りを』にしたのか、理由は自分でもわかりません。なんでも良かったのです。
海外の小説を読んでいるとキリスト教に関することがよく出てきます。この小説も例にもれずというかおもいっきりキリスト教が関わっています。私のキリスト教に関する知識はカトリックとプロテスタントがあるということぐらいです。それもスティーヴィ・キングの『ニードフルシングス』でカトリック派とプロテスタント派が大喧嘩をする箇所があるんですが、そこを読んで両者が仲が悪いんだという知識しかありません。今作でも主人公のオウェン・ミーニーがカトリックから監督教会へ移ったり、彼の友人で小説の語り手であるジョニー・ホイールライトも会衆派から監督協会さらにカナダ聖公会へ移ったりしてためいろんな宗派の名前が出てきます。アメリカでは人種の違いや貧富の差があっても信仰をすることが可能であることがわかります。キリスト教を信仰していれば、もしくはもっと知識があればこの小説をさらに理解できたかもしれません。しかし、そうでなくても十分に面白く感じましたし感動できました。
オウエン・ミーニーとジョニー・ホイールライトの友人同士のまわりでおきた出来事が語られていきます。オウエン・ミーニーはニューハンプシャー州の名産品である花崗岩採掘場を経営する一家で生まれています、ジョニー・ホイールライトは舞台となるグレイブズエンドの町を造った家に生まれました。ジョニーは金持ちの息子で、オウエンはそれほどでもない典型的なブルーカラーのうちの子であるようです。オウエンは他人を魅了する力があり、人間のちからを信じ、学業の成績も優秀、支配することを嫌うようなアメリカ人の理想とする人として描かれています。一方、ジョニーは成人になっても童貞で、宿題もオウエンに手伝ってもらってやっと進学するような人間で対象的に描かれています。これは多くの人間にとっての現実と理想を二人を描くことによって表現しているのではと感じています。オウエンはジョニーにとっての理想の人間であり、妄想上の人物なのではないのかと。
オウエンの見た夢がどのような内容なのかということが物語の主軸となって進んでいきます。いろんなエピソードが小説の結末にむかって収束していくのはお見事という感じがします。ジョニーの母の人台、監督協会でのクリスマス劇でキリストを演じるオウエン、ジョニーとオウエンが組んでおこなうダンクシュートの練習それぞれが強烈な印象を残すエピソードなのですが、それぞれに意味があり繋がっていくことがラストシーンでわかるのです。
オウエンの打球がジョニーの母親タビサ・ホイールライトを直撃し死亡するシーンもものすごい衝撃的でしたが、そのタビサを殺したボールの行方も物語終盤まで謎のまま残っていきます。そのボールの見つかると同時に、ジョニーの出生の秘密が解ける場面は鳥肌がたつような感覚を覚えました。ここでもオウエンの能力が発揮されるのですが、同時にオウエンのジョニーへの友情、タビサへの愛情を感じさせられます。そうゆうほろ苦い感情だけでなく、オウエンの青春時代が終わり最後の役割に望むという悲壮な決意も感じることができます。
それぞれのエピソードが衝撃的に面白く、しかも面白いだけでなくちゃんと繋がっている。オウエンの行動に感動したり感心したりしたり読み進めるうちに、それらのエピソードが繋がっていくのは感動的な体験でした。
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