ジョン・アーヴィング『ガープの世界』
『ガープの世界』の思い出
『ガープの世界』は映画化されたこともあり、ものすごく有名な小説です。私も30年ほど前に映画を見た記憶があります。大学受験の前日に宿泊したホテルのテレビで放送されているのを見ました。入学試験前日で眠れるわけもなく(こうゆう日にぐっすり眠れる人を尊敬すると同時に、仲良くなれそうもないと思ってしまいます)、寝返りを繰り返したあとにあきらめてテレビをつけたときに偶然放送されていたのでしょう。全部を見たのかも覚えていません、覚えているのはガープが子供といっしょに暗闇のなかヘッドライトを消して車を疾走させるシーンです。その後の衝撃的な展開を含めてかなり大きな印象が残りました。それから30年たちジョン・アーヴィングの小説をやっと読むようになりました、『あの川のほとりで』『オウエンのために祈りを』『ホテル・ニューハンプシャー』などです。
こんなに面白い小説をなぜこれまで読まなかったのか、不思議なくらいです。強烈なエピソードをつなぐ家族や友人の生活の物語。なぜ、普通に暮らすことができないのか。暴力にまみれた世の中だからこそ、こうゆう小説を書き続けることになるのでしょうか。
ガープの書いた小説
主人公のT・S・ガープは小説家です、それ以外の何者でもありません。ただ、かなりの寡作でそんなに売れている感じでもないので文筆業で生活しているとは言えません。一緒に文章を書き始めた母親が先にその自叙伝でベストセラー作家になったこと、妻が教師として働いていることから金銭面は問題なさそうです。ですので、近所の人からは主夫と見られているのでしょう。しかしガープは気にしていないようです、彼の出生の経緯(ガープは母親が死亡する手前の兵士にまたがり行った生殖行為から生まれた)からまだ生まれてもいないという感覚があるのかもしれません。
そんな彼の処女作『ペンション・グリルバルツァー』、「ぼくの父はオーストリア観光局に勤めている」から始まる小説です。観光局のスパイとしてホテルのランク付けを行う家族の物語です、宿泊したホテルで家族は夢を告げる夢男や曲芸をする熊と出会っていきます。引用されているのはごく一部ですが、もうジョン・アーヴィングでした。ガープの現実の世界での娼婦シャルロッテとの出会い、それがガープを死の世界へいざなっているのでしょう。その感覚が書いている小説に影響を与えています。
そしてガープの第三作が『ベンセンヘイバーの世界です』、強姦についてしりつくしている警官アーデン・ベンセンヘイバーをとりまく暴力とSEXにまみれた世界。こちらもジョン・アーヴィングのもう一つの面を表しています。ジルシー・スローバーのこの小説に対する感想が面白い、彼女は『ガープの世界』に掃除婦でありおもしろい小説に感度が高い人間として登場します。
あくまで小説上ですがガープが熱狂的な愛読者を獲得した瞬間です。処女作とまったく雰囲気が変わり暴力的な小説が書き上がりました。同じ作者とは思えないところがあります。
あのシーンが意味するところ
恐ろしくも美しいシーンです、この小説のクライマックスとも思えます。やはり、私は30年前に映画を全部見たのでしょう。そのうえでこの箇所が一番印象にのこり現在に至っていると考えます。生きる意味を考え、死ぬ理由を探しつづけるようなガープの人生。この自動車事故に至る経験で作風ががらっと変わります。小説家としてただ小説を書くだけではだめなのか、あらゆる体験が自分の小説に影響を与えるのはごく自然なことだ。これはガープのこころおくそこで思っていることなのではないでしょうか。
さいごに
今回、『ガープの世界』を住んでいる自治体の図書館で借りてきました。予約した本がそろったと連絡いただいて、図書館で出てきたのが1983年にサンリオが出版した単行本でした。ジップロックのような袋に入れられいて、いつもと様子が違います。袋には「状態が悪い資料ですので、この袋に入れてお返しください。取り扱いには、十分な注意をお願いします。」とあります。このような貴重な本を保存して貸し出してくれることに感謝して、かなり緊張して読みました。