酒飲みのための文学
最近では「酒は百薬の長」は間違っている言葉らしい。そして休肝日というのも対して意味のない言葉になってきているらしい。酒は百害あって一理なしだそうで、私も飲まなかった次の日は体調も良く、飲まない日を一日でも多くしたいと思うのですが。ここ20年ほど毎日飲酒をしている人間にはなかなか習慣を断ち切ることができません。無意識のうちにアルコールを浴びるように飲んでいる本を読めば、酒から離れられるとでも思ったのでしょうか。最近、飲酒に関する本を何冊か読んでいました。
チャールズ・ブコウスキー『勝手に生きろ』
主人公のヘンリー・チナスキーは作家志望の貧乏白人だ。働いているとき以外はアルコールを摂取している感じです。
ヘンリー・チナスキーはブコウスキー本人のことなんだろと思います。チャールズ・ブコウスキーは多作の作家らしいですが、私が読んだのは今回始めてです。ですが、本人が若かりし頃の自分を憐れみと多少の後悔をもって書いているのが伝わってきます。作家としてのことはほとんど書かれていませんが、自作が認められないことへの焦りが多量のアルコール摂取へつながっているのかもしれません。とにかくアメリカ人は酒まみれすぎるのがよくわかる小説です。
高野秀行『イスラム飲酒紀行』
酒を飲むことが難しいイスラム教の国でいかにアルコールを摂取するかということが書かれているエッセイ集です。高野秀行さんは酒を大量に飲むわけではなく毎日少し飲みたいという感じがしました。イスラムの人たちも隠れて酒を飲むときに少量を楽しんでいたので、高野さんの飲み方と相性が良かったのではないでしょうか。
宗教と酒との関係についての記述もたくさんありました。仏教には5戒があり、
(1)殺してはいけない
(2)盗んではいけない
(3)淫らなことをしてはいけない
(4)嘘をついてはいけない
(5)酒を飲んではいけない
ときちんと禁止されています。
イスラム教の教えでは酒を禁止しているわけではなく、酒を飲みすぎるなくらいの言葉が変化していっているのだろう。人間が都合よく解釈して伝わった結果とその時の権力者の都合で禁酒の度合いがかわっていくのがわかります。キリスト教については「あいつはキリスト教徒だから酒を飲む」みたいな記述があったので、酒が推奨されている宗教という認識が現地の人にはあるようです。だからヘンリー・チナスキーはあんなに飲みまくるわけだと腑に落ちました。
アブー・ヌワース『アラブ飲酒詩選』
ここで言う新説とはイスラム教の教えでは酒を禁止しているということを指しています。イスラム帝国でアブー・ヌワーズが活動した8〜9世紀ではおおぴらに飲酒するひとがいた一方で、彼のいう新説を持ち出して酒を禁止させようとするひとも出始めた感じでしょうか。
『勝手に生きろ』を読んで酒を飲むのを控えよかなと感じ、『イスラム飲酒紀行』を読んでイスラムの酒飲みを見習ってたまにちょっと飲むのが本当の酒飲みだよなと感じたと思ったら、『アラブ飲酒詩選』を読んで酒がない人生なんてともとに戻ってみるのも人生だなという感じです。