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今日のわたしを、励ましてくれたもの。
1年前に書いたじぶんの記事に、思いがけず励まされた。
この記事だ。
こんなことを書いたこと自体、忘れていた。
当時、長男のことで悩んでいた。
相談した子育てセンターの先生から、「母親だからって、あなたがすべての責任を負う必要はないのよ」と言われた。
その言葉に、どれだけ救われたことか。
また、そのころ読んでいた『母の友』のことも書いてあった。
「母」という役目を追っていると、子どもの性格も行動も、すべて「自分のせいなんじゃないか」と思いそうになる。
だから、なにかうまくいかないことがあると、自分を責めてしまう。
「この子がこんなことになったのは、母親であるわたしの責任だ」と。
でも、そうじゃない。
わたし「だけ」のせいじゃない。
子どもたちは、たくさんの人に出会って、刺激をもらって、大きくなっている。
そして、自分なりに考えて、行動している。
選んでいる。
失敗している。
彼らの成長が、わたし「だけ」のせいなわけがない。
むしろ、わたしを含むたくさんの人との出会いの「おかげ」で、子どもたちは成長している。
そんなふうに、考えたらいい、と。
1年前のわたしが書いた記事は、まるで、今のわたしに向けられた「メッセージ」のようにおもえた。
1年前のわたしと、今のわたしは、おなじことで悩んでいて、それじゃあ何も成長していないんじゃないか、と思いそうにもなる。
けど。
そんなことは、今はいい。
それよりも、1年前のわたしと、今のわたしとが、互いを支えあっているような感覚に、わたしは大いに励まされた。
大丈夫だ。
過去のわたしですら、「わたしの味方」なのだ。
それは、とても心強い存在に感じられた。
◇◇◇
次男の「イヤイヤ期」は、相変わらず絶好調である。
いろいろ調べて、人から話を聞いて分かったのだが、みんな遅かれ早かれ、大なり小なり、こういう時期があるものらしい。
そして、母子でそれを乗り越えて、いっしょに強くなっていくらしい。
みんな、ガンバッているのだなあと、他人の経験談をしみじみと眺めた。
こんなに大変な中、ニコニコと振るまっているママたち、すごいな。
文句も言わずに。愚痴も言わずに。
わたしはすぐに、人に「イヤイヤ期でさあ!」と打ち明けてしまう。
馬鹿正直に口に出さないと、崩れそうになるのだ。心が。
でも、みんなも実は、大変だったんだ。
見えないところで、子どものギャン泣きに悩んで、怒って、反省して、後悔して、夜に泣いたりして、となりで眠るわが子に謝って、そして次の日、今日こそ優しくしようと思うのに、またイライラしちゃって。
そういうのを繰り返して、強くなっていったんだ。
他人の頑張りを知ってしまうと、とたんに自分がちっぽけに思えてくる。
「わたしなんか、まだまだじゃん」と言いたくなる。
でも、わたしはわたしで、ガンバっている。
みんなも、ガンバっている。
それで、いいじゃない。
それで。
ここ数日は、どこに出かけても、帰り際にギャアギャア泣いた。
長男の送迎からの帰り道、デパートからの帰り道、毎度大暴れする次男を米俵のように抱きかかえて、車に押し込んだ。
口先では「そうだね~いやだよね~」と穏やかに諭しながら、すみやかに後部座席のドアを閉める。
そして、わたしは運転席に座り、泣きのピークがおさまるのをひたすら待つ。
後ろから、「なんでなんで!!!」と怒って、髪の毛を引っ張ってくる次男。
必死さに、もはや笑えてくる。
同時に、涙も出てくる。
心を「無」にするのだ。
カッとならないように、何も考えないようにするのだ。
ミキティも動画で言ってたじゃん。
「向き合うから、しんどいんだよ」って。
どうせ、どうにもならない。
声をかけても、おやつやDVDで機嫌をとろうとしても、ダメなものはダメなのだ。
何度かやってきて、むしろしない方がいいと分かった。
これだけ泣いていても、最後にはおさまるのだ。
家にたどりつけさえすれば、何事もなかったかのように、ケロッとして、笑顔を見せてくれるのだから。
だから、無心で乗り越えるしかない。
仏になったつもりで、チャイルドシートに乗せられる状態になるまで、空を見ながら待つ。
すこし気力が尽きかけた隙をついて、チャイルドシートに勢いよく乗せた。
「ぎやああああ」と叫んだけど、車を発進。
1分で、寝た。
なんだったんだ、とつぶやく。
先ほどまでのことは、全部夢だったのかもしれない、とおもう。
こんなふうに泣くのも、暴れるのも、わたしの「せい」ではない。
次男はただ、外でもっと遊びたかっただけだし、おなかがすいていただけだし、すっごく眠かっただけだ。
そして、それを訴える方法が、泣くことしかなかっただけ。
泣き声は、わたしを責めているように聞こえてくるけど、そうではない。
だから、泣かなくていい。
わたしは、泣く必要なんか、ないんだよ。
帰り道、マクドナルドのドライブスルーで、オレオクッキーチョコフラッペを買った。
公園の駐車場に車を停めて、無言で飲む。
車から降ろせば、また泣き出す。
しばらく、このまま寝かすしかない。
飲み終えたカップをホルダーに差し、ラジオを聴きながら、運転を再開する。
目的もなく、道を走り、時間をつぶす。
1年前の記事。
みんなの経験談。
ミキティの動画。
オレオクッキーチョコフラッペ。
それが今日、わたしを励ましてくれたもの。