感情には「持久力」がない。
感情には、持久力がない。
ツルリンゴスターさんの漫画『いってらっしゃいのその後で』の、「育児の孤独感」に悩む話。
黒い塊となった「孤独感」が、著者に向かってこう言うのだ。
たしかに。
「育児の孤独感」は、定期的に必ずわたしを襲いにくるが、その感情が長く続くことはない。
少なくとも、わたしの場合は。
長引かせようとするときは、ある。
助けてほしくて、わかってほしくて。
もうとっくに救われているのに、まだしんどいフリをして。
イライラした口調で話したり、はあーと何度もため息をついたり。
「疲れてますよアピ」。
よくないって、分かってるのに。
でもほんとうは、それを誰かに受け止めてもらっている時点で、「孤独感」とっくに薄れているのだ。
「辛い」気持ちは、続かない。
感情には、「持久力」がない。
「育児の孤独感」だけではない。
人生終わりだというような失態を犯して、いっしょう立ち直れないんじゃないかというくらいどん底にいても、数年後にはその感情自体、すっかり思い出せなくなっている。
今から3年くらい前。
とある失態を犯してしまって、泣いて落ち込んで、けっこう食らった。
過ぎ去ったことは、どうすることもできない。
くよくよしても仕方ないんだから、切り替えるしかないと分かっていたのに。
わたしは数日、辛いフリを続けた。
たまたま実家にいたので、母や妹はずいぶん気を遣っただろう。
申し訳ない反面、いつもどおり冗談をとばすことは許されないとおもった。
でも結局、そんなフリも長くは続かない。
実家から帰るころには、「もうええわ」という感情に落ちついていたのに、車内でもむっつり顔を貫こうとするわたしに、母と妹は呆れていた。
「あんたって、たまに機嫌悪いわよね」
母は、ふりかえって、そう言った。
どうやらとっくに、バレていたようだ。
「つらい」という気持ちは、時とともに薄れていく。
そのときは、一生忘れてはならぬと、固い決意をむすんでいるのに。
いつの間にか、あの絶望的だった気持ちすら、記憶のかなたに消えている。
そういえば、今年の2月にも大きな失敗をした。
身分証明書のすべてを紛失し、夫に散々迷惑をかけ、多方面に助けてもらった。
「もう二度とこんな失態はしない!」
そう意気込んだ数日後、わたしは相変わらず財布を忘れ、おなじようなことを繰り返した。
バカなんか?
学ばないなあ、と心底呆れた。
でもたぶん、そうやって、心にダメージを食らって、忘れて、また食らって、というのを何度かやっていくうちに、だんだんとその「痛み」の味を覚えていき、ようやくそのから教訓めいたものを得るのだ。
そのために、何度も「つらい」という短い感情がやってきて、それを乗り越え、いずれ忘れて、そんな流れをくりかえす。
すべては、「大切なこと」に気づかせるために。
漫画のなかで、黒い「孤独感」はこうも言う。
短くとも、一瞬で終わるとしても。
何度もやって来る「つらい」感情。
でもそのとき「つらい!」と思うから、次に進むことができるのだ。
だから、しかたない。
波のように押し寄せてくるその感情を、いったん受け止めて、すぐ忘れよう。
それは、永遠なんかじゃない。
「持久力」がないって分かっていたら、受け止めるのもすこしは、ラクになるはず。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?