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「子育て」が与えてくれたもの。


「子育て」がわたしに与えてくれたもの。

それは、「想像力」だとおもう。


わたしは、頭の中で都合のいい「妄想」をするのは得意だったが、相手の立場になって物事を考えたり、体験したことのないことをイメージしたりするような、「想像力」に乏しかった。
今でも、そうかもしれない。


むかし、古賀史健さんが「想像力とは、引き寄せる力」だと書いておられた。

いじめられている人が、どんな気持ちか。
仕事が辛いって、どんな気持ちか。
ペットが死ぬって、どんな気持ちか。
彼氏に振られるって、どんな気持ちか。

わたしは、そういうのを自分に「引き寄せて」考えられなくて、よく「一般論」を口にした。
「正論」ぶちかまし人間だった。


でも、子どもができてから、少し変わった。
すこしずつ、相手のことを想像できるようになってきた。

「子育て」では、否が応でも子どもの立場になって、あれこれ想像しなければならない。
しゃべることもできない、主張の下手クソな赤ちゃんが、何を求め、何を訴えているのかを、自分に引き寄せて考える。
わが子の顔や体のようす、小さな声、なけなしの知識と経験のすべてを総動員して、想像する。
そりゃもう、必死に。

だって、この目の前の子の欲求を、誰よりも分かってあげられるのは、母親である「わたし」だから。
わたしが分かってあげられなかったら、この子は、「死ぬ」から。

子どもの気持ちになる。
誰かの気持ちを想像する。
自分に引き寄せて考える。
相手に、寄り添う。
ちがう立場のことをおもう。

そういうことを、「子育て」が教えてくれた。
「子育て」は、「想像力」の連続だった。


想像できるようになったのは、わが子のことだけではない。
「子育て」のおかげで、実母の苦労を想像できるようになった。
なぜ、母があんなに不安定だったのか。
なぜ、不仲な父と離婚しなかったのか。
なぜ、あのとき怒っていて、あのときは泣いていたのか。
「子育て」をしなかったら、一生母の気持ちを分かろうとおもう日は来なかっただろう。


また、「子育て」のおかげで、教師として、子どもたちや保護者の気持ちをより想像できるようになった。
新任の頃、よく管理職から「とにかく母の味方になれ」と指導された。
意味は分かるけど、「なぜ?」とおもった。
子どもの味方じゃダメなの?
なんで教師が、「お母さん」の味方をするの?

でも、今ならわかる。
少なくとも、前よりは。
「お母さん」のハッピーが、子どもたちのハッピーにつながるからだ。
来年度、教師に復職したら、前よりもお母さんの気持ちに寄り添えるはずだ。



もちろん。
親にならなくたって、想像力のある人はたくさんいる。
「子育て」をしていなくたって、実母の気持ちがじゅうぶん想像できる人もいるし、「子育て」をしていなくても、すばらしい先生はたくさんたくさんいらっしゃる。

でも、わたしはたぶん、「子育て」をしていなかったら、こんなふうにはなれなかった。
いつも一方的な見方ばかりして、相手が弱音を吐いても正論で突き返し、自分に都合のいいところだけ手に入れて、あとは捨てる。
そんな、35歳になっていただろう。

だから、「子育て」ができてよかったとおもう。
月並みだけど、「子育て」はほんとうに、わたしを大きく成長させてくれた。


◇◇◇


「子育て」をして、できるようになったことがもうひとつある。
人を頼る」ということだ。

ずっと、「助けて」って言えなかった。
自分ひとりだけで背負うものだと思い込んできた。
でも、頼らなきゃ育児はできない。
夫はもちろん、実家や、義母や、友人や、専門家や、公的施設。
頼れる場所はいくらでもあって、あとはそこに「助けて」と言えばいいだけなのだ。

それは、簡単なようで、とても難しい。
それでも、我が子のために、わたしはそれをしなければならない。
「子育て」のおかげで、できるようになった。
わたしは、他人を信頼する力を手に入れたのだ。



こんなことを書くと、「子育てもいよいよ、終了です」というようにおもえるが、まだまだ渦中である。
相変わらず、4歳と2歳の「子育て」は挫折と失敗と絶望の連続で、うまくいくことのほうが少ない。
毎日、とてもイライラする。

「イヤイヤ期 対応」と検索して、子育て法の動画をいくつも見る。
次男にぶっ叩かれたとき、ぶっ叩き返しそうになるのをグッとこらえて「これも、成長の証☆」と呪文のようにつぶやく。
野菜をひとくち食べるたびに、「すごーーい!」と拍手する。
公園の帰り道、どうしてもチャイルドシートに乗せられないギャン泣き次男に、途方に暮れる。
空を見上げる。
今日もよく、晴れている。
よくやってるよ、と自分の肩をたたく。


夜。
子どもたちを寝かしつけたあと、ときどき、誰もいないリビングのソファーで動けなくなる。
「今日も一日、いったい何が起きたんだ」。
そんな気持ちが、ずんっとわたしの体をソファーにうずめる。

「子育て」って、辛い。

でも、それ以上に、子どもたちのために頑張れることは、やっぱり幸せだとおもう。
子どもたちのために頑張っているように見えて、実はわたしが一番成長させてもらっている。
楽しい時間を、与えてもらっている。

「想像力」をもらった。
「頼る力」をもらった。
そして何より、子どもたちがニコッと笑って、胸に飛び込んできてくれるような、この上ない「幸せ」をもらっている。

これが、「子育て」か。



よく、子どもに「生まれてきてくれてありがとう」と言う場面に出くわす。
なんか、薄っぺらくてあまり好きな言葉じゃなかったけど。
「子育て」をしながら、自分なりに、その意味が分かりつつある。


「子育て」をさせてくれて、ありがとう。

あと何年、「子育て」と言えるような時間を過ごせるのか分からないけど、めいっぱい頑張ります。

___うそ。
ほどほどに、のびのびと、頑張ります。



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