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完璧でも、万能でもない。


子どもは、大人を「完璧」だと思っている。


そんな気がする。
教師になって、親になって、ますますその気持ちが膨れ上がった。


思えば、わたしも子どもの頃はそう思っていた。
大人というのは「正解」で、失敗をしない「完璧」な人たち。
なんでもできる「万能」な存在。
だから、親に従っていれば間違いないし、大人が言うなら従わなければならない。

そんな子ども時代から、大人になって、分かったこと。

大人は「完璧」なんかじゃない。
親だって失敗するし、お母さんも、お医者さんも、学校の先生も、「万能」なんかじゃない。

分かっているはずなのに。
わたしたちはふとした時に、つい他人に「完璧」を求めてしまう。
お医者さんなら、どんな症状でもすぐ治してくれると思ってしまうし、先生に相談すれば、一発で問題を解決に導いてくれると思ってしまう。


大人にだけではない。
時には「子ども」にすら、とてつもなく高い理想を求めそうになって、そんな自分に驚いてしまう。

息子に言う。
そんなこと言ったらダメだよね。
残しちゃダメだよ。
姿勢よく座って。
持ち方が違うよ。
間違えないように気をつけて。



必要なことだ。
必要な声かけの範疇で、とどめられているはずだと信じている。
マナーやルールを教えるのは大切なことだし、間違ったことをした時は、それがどういうことなのか一緒に考えられるようにしたい。

親として、当然の声かけ。
でも、いつも子どもを諭しながら、もうひとりのわたしの声がきこえる。

どの口が。
どの口が言うんだ、と。

親は、矛盾のカタマリだ。
それもまた、親になって分かったこと。
親とは、自分のことを棚に上げながら、子どもに口うるさく言う存在なのだ。

今日もわたしは、自分の失敗を棚に上げて、息子のあれこれに苦言を呈す。



◇◇◇



新任教師だった頃。
とある女の子が、ベテランの先生にたずねているのを目にした。


「先生も、失敗することあるの?」


その女の子は、自分にも他人にも厳しいタイプで、時々それがトラブルを生んだ。
ベテランの先生は、それはそれは素敵な人で、上品で、優雅で。
わたしからみても「失敗」とは無縁におもえる方だった。


先生は、オホホと笑って言った。

「あら、先生は毎日失敗ばっかりよ〜」


その時の、女の子の顔が忘れられない。
目をまん丸にして、キョトンとして、狐につままれたような顔って、こんな感じなのかしらとおもうような。

___先生でも、失敗するんだ。
女の子の心の声が、漏れ出していた。
ベテラン先生のひとことは、女の子の世界をぐるんと反転させただろう。

大人だって失敗する。
でも、大丈夫なんだよ。
失敗を乗り越えていけばいい。
失敗があるから、成長できる。
何度でも、何度でも、失敗しよう。
万能なんか、目指さなくていいんだよ。


そんなことをくどくどと言わなくても、その女の子には伝わったはずだ。
あの顔は、そういうことだったんだろう。



◇◇◇



ベテラン先生のひとことを、わたしもずっと、胸にしまって生きている。

息子に、「完璧」を求めそうになったとき。
自分を「完璧」に見せようとして疲れたとき。
他人が「万能」になってくれなくて、イライラしてしまいそうなとき。


誰だって、完璧じゃない。
失敗する。
万能な人なんていない。
おまじないのように、繰り返す。



息子に言い過ぎてしまったときは、「でも、お母さんも忘れん坊なときあるわ」と付け加える。
夫が家事をしてくれないときは、「わたしだって、疲れている日は何もしたくないしな」と納得する。
自分がうまくやれないとき、「そんな日もあるよね」と言ってやれる。


完璧でも、万能でもない。
わたし、それが「わたし」という人間。

失敗したってオホホと笑っていられる、あのベテラン先生のように、わたしもなりたい。


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