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ノルマのために、書くんじゃない。
夜にゆっくり、「note」を書く時間がとれない。
寝かしつけに時間がかかってしまって、自分の時間が来ないからだ。
だから、日中家事や育児のあいまをぬって、「note」を開く。
でも、すぐに中断。
子どもたちに誘われたら、記事を書いていた手を止めなければならないし、頭の片隅で家事のことを考えていたら、目の前の記事の内容がまとまらない。
結局、なんども「note」を開いては、閉じる。
中途半端に書きかけた、なにが言いたいんだかよく分からない下書きが次々に溜まっていく。
むう。
やきもきする。
書きたい意欲と裏腹に、まったく書き進められない状況にイライラする。
そんな気持ちを、ふと夫に、こぼしていた。
「夜時間がとれないから、昼間ちょこちょこnote開いて書いてみるんだけど、うまくいかんわ」
すると、夫がひとこと。
「それは、ノルマでもあるん?」
ノルマ・・・?
いや、ノルマはない。
「毎日投稿」は、私が自分に課しているだけで、「note」が指定してきたノルマではないし。
わたしの記事には、締め切りもない。
どれだけ時間をかけても自由だし、いつ投稿しても自由だ。
わたしがどれだけの時間を「note」に当てても、逆に当てられなくても、だれも咎めない。
「いや、ノルマはないけど・・・」
わたしが、ごにょごにょと返事をすると、夫は不思議そうだった。
「ノルマがないなら、書かなくてもいいじゃん」と言う顔。
べつにわたしを否定したいわけではない、純粋な疑問。
「ノルマがないなら、そんなふうに悩んでまで、書かなくてもいいんじゃない?」と言いたいわけだ。
たしかに、そうだ。
でもわたしは、ノルマを達成するために、何度「note」を開いているのか?
いや、ちがう。
「わたしが書きたいんだよ。でもうまくいかないから、困ってるの」
わたしは、少し考えたあと、そう夫に言うことができた。
夫は、「ふーん」といった顔で、特に反応はしなかった。
「あなたも、ノルマはないけど、読書がしたくて、隙間時間に読んでるやん。でも、なかなか気が散って読み進められないって言ってたじゃん。おなじだよ!」
と、言いかけてやめた。
心の中で、そう言ってはみたものの、夫にそれを言ったところで何かが変わるわけではない。
それに、言わなくてもたぶん、夫は私の言いたいことを、およそ分かってくれている気がした。
でも、夫に「ノルマでもあるの?」と聞かれたから、あらためて気づくことができた。
わたしの「note」には、守らなきゃならない締め切りもないし、「毎日投稿」だって途切れていい。
そういうノルマは、なにもない。
それでも、何度も「note」を開くのは、わたしが「note」を書きたいからだ。
わたしが「note」を好きだからだ。
「書きたい」というやりたいことが、うまくいかないんだから、やきもきしても当然だ。
この気持ちを解消するためには、やっぱり「書く」しかない。
わたしは、子どもたちが昼寝中、束の間の一人時間に、すぐノートパソコンを開いた。
いつもなら、コーヒーとおやつでゆっくりしたり、残った家事をしたりする。
でも今日はそれより、「書く」優先だ。
わたしの心が一番やりたがっている「noteに書く」を、なによりも優先し、大事にしてやるのだ。
そう思って、この記事を打っている。
くすぶっていたわたしの脳のすべてが、「書く」という行為に向けられている。
何度も開いて閉じた下書きたちが、次々に、息を吹き返す。
手が止まらない、軽やかなタッチ。
ああ、これこれ。
これがやりたかったんだよ。
全身全霊で「note」を書いている今、この瞬間。
これがわたしのやりたかったことなんだと、心が何度も頷いている。
ノルマのためではなく、わたしのために。
今日もわたしは全力で、「note」を書く。