見出し画像

最近思うことを、ざっくばらんに。


なんかもう、ひとつにまとまらない。

思うことは、いっぱい湧いてくるのに、それについて、ひとつひとつ記事を書き上げるパワーがない。
だから、ざっくばらんに書き連ねることにする。
いわゆる、雑記だ。これは。

話があちこちにビュンビュン飛んでいくけど、許してほしい。
たぶんわたしの頭の中も、今こんな感じだから。





最近、ネットに疲れている。

たまの気晴らしに見ていた動画で、いろんなことが起きたようで、情報が飛び交っていて、見ているのがしんどい。

しんどいなら見なきゃいいのに、ふと気が緩んだとき、検索して情報を追ってしまう。
Xも、以前こういうことが起きたからやめたのに、結局アプリは使わずに、検索履歴から閲覧しに行ってしまうので、厄介だ。

でも、疲れたので、今度こそやめる。
Xも見ない。
関係するYouTubeも見ない。
なんならしばらく、ネットから遠ざかりたい。


実は、XやYouTubeほどじゃないんだけど、noteにもすこし疲れている。

少し前に見つけてしまった「本気」の記事を読んでからというものの、どうにも筆がうまく持てない。
「本気」の方々は、本気で書いてるんだから、その熱量で語るのは当然のことだ。
そして、わたしはそうではないのだから、そうではない立場として生きていけばいいだけなのに。

住み分けていた区画。
知らなかった壁の向こうを、覗いてしまったせいで、本来わたしがやりたかったことが、よく分からなくなってしまった。



こういうとき、「繊細なんだね」と言われる。
実際に言われてなくても、なんとなく頭に「繊細」という言葉が浮かぶ。

この「繊細」というワードにも、最近よくつっかかってしまう。


わたしは、いわゆる「繊細さん」的なのかもしれない。
調べてないので、「繊細さん」の特徴が何か、よく分かっていないけど、わたしは真面目すぎるところがあって、いちいち他人事に気を揉んだり、関係ないトラブルからダメージを受けたりする。
誰かが活躍していたら、わたしも頑張らなきゃと焦るし、誰かが落ち込んでいたら、自分のせいかもしれないと思う。

なにより、いつも自分のことばかり気に病んでしまう。
いろんなことが、スパッとうまく切り離せなくて、そんな自分がイヤになる。

これが、「繊細さん」なのか、ただ考えすぎの人なのか、名称がなんなのか知らないけど、少なくとも、何かに悩んでいるとき「繊細なんだね」と言われると、「弱いんだね」と同義に聞こえて辛い。

そして自分でも「わたし繊細なので」と名乗ることはできない。
そう、なんか、「繊細」って、自分で言う?みたいな。

他人が自分で言っているぶんは、特に疑問に思わないけど、自分で自分を「繊細」と言うのは、細い糸を紡いだような、消えそうな儚い存在ですと言っているようで、納得できない。
お前、そんな人間じゃないだろ。なあ。


こういうことを書くと、世の中のいろんな人を傷つけるかもしれない。
わたしもうまく、言葉にできない。
でも、モヤモヤしてる。

「繊細」という言葉に出会うたびに、心のはしっこがギスってするのだ。





昨日、くどうれいんさんの『日記の練習』が届いた。
わあーとなって、早速寝る前に読む。

もともと、今寝る前の読書には、村上春樹さんの『世界の終りとハード・ボイルド・ワンダーランド』を読んでいた。
だから、そっちも読みたい。

結局、順番に読んで寝たら、村上春樹さんの世界と、くどうれいんさんの世界とが混ざり合って、こんがらがった夢を見た。

明日からは、寝る前が村上春樹さん、朝起きてくどうれいんさんにしたら、いろいろしっくり来そうだ。



そのくどうれいんさんの日記を読みながら、「ああ、わたしの日記は、やっぱり違うな」とがっかりする。

くどうれいんさんの日記は、何度も「ご機嫌」が出てくる。
もちろん、くどうさんだって始終ご機嫌なワケがない。
でも、忘れてしまうようなことを拾い上げて書き留めておく。
小さなご機嫌を、意識して。

そういうことが、わたしの日記はできてない。
つい暗い沼に足を入れてみたり、心のバケツの泥水を手で救って戻したりしてしまう。
そんな日記になる。
ぬう。まだまだ緩いな。



でも、日記があってよかった。
わたしには、書くことがあってよかった。
本が読めるようになって、よかった。

今、ずっとストレス発散や気晴らしのひとつだったYouTubeやnoteが、心とうまく寄り添わなくなっている。
それでも、書くことは手帳にだって、携帯のメモにだってできるし、読みたい本ならいくらでもある。

だから、心が整うまでは、書きたい場所で書いたらいいし、寝る前に好きな本を読んで寝たらいい。
この方が、ずっと健全だ。

noteには投稿したいと思えばすればいいし、時が経てばまた、YouTubeも見たくなるんだろう。
楽しいコンテンツは、気分良く使いたいから。
だから、ときどき距離を置くのだ。



とりとめもないことを書いていたら、2000字に膨らんでしまった。
でもいいか。
雑記なんだから。  


雑記といえば。
別の話と別の話を、ひとつにくっつけてあるようなものをよく見かける。
村上春樹さんの「雑文集」にもあったし、くどうれいんさんも「日記と日記をがしゃんとくっつけてひとつにすることがある」と書いていた。

こういうのが、上手くなりたい。

◇などの区切りマークや、「ところで、話は変わりますが」などとわざわざ書かなくても、自然に話が移り変わってゆくような、そんな記事。
意図せず、思いがけず、追いかけてしまうような。
そんな記事が書けたら、楽しそうだ。


雑記。
たまには。

ざっくばらんな話を最後まで聞いてくださって、ありがとうございます。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?