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お風呂にもぐって、ゆるむ夜。
小さい頃から、お風呂にもぐるのが好きだった。
広い風呂ではないので、膝を折り曲げて、丸めた全身をぷかぷかと浮かべる。
それも良いが、いちばん好きなのは、仰向けで足を湯船の外まで伸ばし、顔以外の全てをゆっくりと湯の中に浸す方法だ。
長い髪が、湯の中でズラァと広がる。
頭皮に、湯のぬくもりがじんわりと染み込んでくる。
これが、たまらなく気持ちいい。
今、ドアを開けられたら、ホラーだな。
妖怪だと騒ぐ家族の顔を想像して、ニヤニヤしてしまう。
どうか誰も、ドアを開けないでほしい。
この時間は、わたしひとりのものなのだから。
あたたかいベールに包まれたような、この安心感は一体なんだろう。
お腹の中にいたときに、羊水に浸っていた記憶だろうか。
いつも子どもを連れて風呂に入るので、ばたばと慌ただしく、体を洗ったかどうかも覚えていない。
髪も、洗えないときは諦める。
そんな日があまりに長く続くと、しんどくなるので、昨夜は夫に頼み、10分間ほどひとりで風呂に潜ることにしたのだ。
__コポ、コポ、コポ。
空気の膜が耳を覆って、外の音が聞こえなくなる。
子どもの声も、テレビの音も、全部。
ちゃぷ、コポ、ちゃぷ、コポ。
しばらくそうやって、顔だけを外に出して、天井を見つめてみる。
風呂場の天井には、四角い蓋がついていて、その角の丸い四角形をじっと眺めた。
ドク、ドク。
わたしの心音だけが、湯の中に響く。
わたしは体を前後に揺らして、髪を湯の中でふわふわさせたり、頭皮を揉んだり、足先を湯の中に入れたり出したりして、楽しんだ。
しばらくそうやって、ひとりでプカプカと浮かんでいると、トゲトゲしていた心がすっかり丸くなるのを感じる。
気持ちが、ゆるんでいく。
こんな時間は、ひさしぶりだ。
10分間ほど経つと、わたしを探していた次男に見つかり、至福の時間は幕を閉じた。
次男はすばらく服を脱ぎ、わたしの隣にザボンと飛び込んだ。
◇
風呂は、気持ちがゆるむ。
この「ゆるむ」というのは、大切なことだ。
しかし、母になってからは、ゆるむ方法が分からなくて、困っている。
風呂にすら、ゆっくり浸かれない日々だ。
どこで、どうやって、ゆるんだらいいのだろう。
先日、ネットで「ゆるんだ母の姿を見たことない子ども」という記事を読んで、ギクリとした。
わたしのことじゃないか。
リビングで、ソファーで、食卓で。
わたしはダラダラとゆるむ瞬間を、どれだけ子どもに見せているだろうか。
もともと、気を抜けないタイプだ。
だから、人前でダラけるのに抵抗がある。
気の緩みといえば「寝落ち」のイメージなのだが、わたしは数えるほどしか寝落ちた経験がない。
しかし、最近は体力が衰え、疲れやすくなっている。
ふつうに、気をゆるめて休みたい。
わたしの気持ちだけを優先していいのなら、日中ソファーで体を横たえて、目を瞑りたい。
でも、できないのだ。
まず、目を瞑るのがこわい。
いつ子どもが飛びかかってくるかと思うと、気が気じゃない。
目を閉じている間に、深く寝入ってしまったらこわい。
それに、仮に子どものいる時に目を瞑れたとしても、数秒ごとに、「お母さん、牛乳ちょうだい!」「お母さん、あれとって」「お母さん、お母さん、お母さん」‥と呼ばれるのなら。
最初から、目なんか閉じたくない。
育児において、気がゆるむ瞬間なんて、ないのかもしれない。
しかしママ友は、子どもの昼寝時間に一緒にうつらうつらしている、と話していた。
だから、育児中のママ=気を抜けない、という構図もな成り立たないようだ。
うちの子は、小さな頃から昼寝をしないので、昼寝中に休む選択肢はない。
テレビを見せたり、託児に預けたりして、自分のゆるむ時間を確保しようとがんばってきたけど。
それもまた、限界がある。
何より、自分の気が抜けない。
ちっとも、緊張が緩まない。
ほぐし方を、体も頭も忘れてしまった。
こわいのだ、無防備になることが。
そういえば、わたしの母もまた、そうやってダラダラしているのをあまり見かけなかった。
父はテレビを見て、酒を飲んで、ドカリと座っているイメージがあるのに、母はせっせと次のことをしている。
ああ、母親とはそういうものなのか。
これじゃ、わたしもおんなじじゃないか。
そんな実母も、わたしたちが成長するにつれて、ようやくソファーで寝そべったり、くたびれて昼寝したりするようになった。
人気のない和室をあけると、母がどーんと寝そべっていたときは、驚いた。
しかしよく考えたら、驚くようなことじゃなかった。
母だって、人間。
わたしも、人間。
気を張り詰めていたら、息ができない。
ときどき、「ゆるむ」を意識して作らねばならないのかもしれない。
それこそ、お風呂に潜ってひとりでぷかぷか漂う、とかね。