勝手に海の風と匂いを想像しながら、ゆっくりとページをめくる
ゆっくり大事に味わっていた本を、ようやく読み終えた。
島田潤一郎さんの『電車のなかで本を読む』という本だ。
長い本ではない。
本を紹介する本、いわゆる「書評集」というのだろうか。
これまた本屋で何度も目に入り、はじめて「書評集」を買ったのだが、買ってよかった。
今、手にとるべくしてとったと思う。
静かで淡々としているのに、本に対する熱もある。伝えたい思いもある。
そんな島田さんの文が、自分にとても合っていたようで、一章ずつ、わざとていねいに時間をかけて読んだ。
小説でもないのに、なんだか読み終えるのが惜しかった。
高知県室戸市を故郷とし、愛する島田さん。
本を読み進めていると、度々、高知県の濃い青色の海の情景が浮かび、海風や匂いを感じるような気がした。
高知県に、行ったこともないのに。
それは、著者である島田さんが、高知県室戸市を思いながら、またそこに暮らしておられる家族を思いながら、文を書かれたからだろうかと想像する。
実際、この内容は高知新聞社のフリーペーパーに掲載されたものだそうだ。
勝手に室戸市の町並みを思い浮かべ、そこを歩く一人になったような気になってみる。
本書では、たくさん本が紹介されていてどれも気になったが、わたしは、島田さんの「子育て」に対する姿勢に共感した。
たとえば、上本一子著『かなわない』を紹介されている「子育てに疲れている人へ」という章には、このような文がある。
わたしも同じだった。
はじめこそ、育児のハウツー本を買い漁ったり、ネットで検索魔になったりしていたが、ある時からパタリとそれをやめた。
島田さんとおなじで、「ずっと育児のことを考えている」のが嫌になったからだ。
せっかく本を楽しもうとしているのに、また育児について勉強しなければならないのか。
そんなの休まらないし、楽しくない。
そう思う一方で、育児中なのに育児本を読みたくないなんて、という罪悪感もあった。
島田さんが明け透けに書いてくださっている言葉に、救われる気がした。
また、続いてこう書いておられる。
これまた、わかる。
同じ心境に、よくなる。
これだけ穏やかで思慮深い文章を書くひとでも、「子育て」に追い込まれ、かわいい我が子とかかわることを「辛い」と感じるときがある。
それを知っただけで、私は「自分だけじゃないんだ」と救われる。
島田さんはそれをよく分かっていて、他の章でも、たびたび「育児の孤独さ」や「子育てはつらい」ということについて、オープンに書いてくださっている。
とても励まされた。
「育児」以外の章で印象的だったのは、荻原魚雷著『中年の本棚』を紹介した「夫婦が不機嫌になったとき」の内容だ。
引用の引用みたいになってしまうが。
この『中年の本棚』で紹介される、田辺聖子の文章が、あまりにも「夫婦」をあらわしていて、私はどきりとした。
うーわ、たしかに。
あまりにも当てはまるのでおどろいた。
どちらかが座ったら、もう片方が座れない状況が、家庭では度々起こる。
私が不機嫌の椅子に座るたびに、夫は黙っているしかないし、逆の場合、私は自分がそこに座れないことに、さらに不機嫌になる。
おとなとして、バランスをとるしかない。
こんなふうに、「ああ!」とか「たしかに」とか言い、何度も頷きながら、この本を読んでいった。
読み進める時間が本当に愛おしく、まさに、噛み締めながら、ひとつずつ飲み込みながら、読んでいくのが楽しかった。
本書を紹介されている「note」の記事もよく目にするので、きっとたくさんの方が、この本の雰囲気に惹かれ、島田さんの言葉や考え方に惹かれたんだろうと思うと、また嬉しくなる。
「それ、わたしも読みましたよー」
人の紹介記事を読みながら、指さして、にこにこしてしまう。
もちろん、紹介されている本たちも、読んでみたくなる。
紹介されているなかで、気になる本もいくつかあったので、ぜひ手に取りたい。
高知県にも行ってみたくなる。
島田さんのように、まちを周り、本屋を巡り、海風を感じて、そしてこの一冊のことを思い出すのだ。