【文字に美はありや。】 伊集院静 著 文春文庫
最初に。
表紙の美しさで手に取り購入したこの本は、文藝春秋に連載に連載していた40話を一冊に纏めたもので、
文字の歴史や書聖(王羲之)に始まり、空海、坂本龍馬、近藤勇、副島種臣、夏目漱石、などなどを進み、古今亭志ん生の書の話を39話、書道ロボットを引き合いに書を連載してのまとめを40話に置いて終わっています。
上の写真は、40話中の第10話「猛女と詩人の恋」の最終ページ。
伊集院さんによる書き始めは、
彫刻家であり、日本の近代詩の先駆者である高村光太郎は、書についてこう語っている。
「書をみるのはたのしい。画(絵画)は見飽きることもあるが、書はいくら見ていても
あきない。云々…」
この後、高村光太郎の書に対する考察を紹介し、その後、光明皇后が王羲之に倣った書と夫の聖武天皇の書が一緒に正倉院に納められている話を書き、夫婦愛の話として高村光太郎を取り上げ、最後に高村光太郎の生原稿を持ってきて、書を書く変遷を著していました。
夫婦ものとして、高村光太郎と光明皇后は、学校では国語あるいは美術また歴史というばらばらのジャンルの教科で学びます。伊集院さんの本のように、一緒に並んで話される事はないでしょう。
それを「書」または「文字」という括りで伊集院節が纏め上げるのです。
タイトルの【文字に美はありや。】に沿っては、高村光太郎が昭和30年にもなって1600年前の王羲之の書を讃えて、自分も書をものにしようと思ったという逸話を出しています。
書くことで表現してきた伊集院さんの書き方は、歴史的な人物、文学的な人物をエンターテイメント性を持って表現していくので、学校で習ってきた事柄はただの事象ではなくて、その実は人間味があるのだという事に気が付きます。
苦手意識のある歴史、史実、文学、作家、に興味を持っていただけるかもしれません。
この本に掲載されている原本写真を見ていて、
・京都国立博物館
・神奈川近代文学館
・日本近代文学館
・松井記念美術館
・横山大観記念館
・台東区立書道博物館
他にもありますが、所蔵品として実物を見ることができるのがわかったので、機会を作って訪ねていこう(=聖地巡礼)と思います。
さらには、近場の記念館や文学館にもそこに所縁のある作家や偉人の直筆の書などが展示されていることがわかったので、早速行って来た次第です。
調べ始めると驚くような出会いがあって、とても楽しかったです。
最後に。
【文字に美はありや。】を読んで、確実に自分の行動範囲と選択肢が増えました。
今まで何千冊と読んできたのに何やってきたのだろう、本一冊でいろいろ変化が訪れるなんて本当にすごい!と、やっと気付きました。
取捨選択は仕方ないとしても、過去の自分が読んで終わっただけの残念な選択しかしてこなかったわけです。これも反省材料。
気付きを行動に変えて一歩前進しようと思います。今でしょ!
<おまけ>
タイトルの文字は自分で書きました。
利き手を痛めているので反対の手を使ったのですが、まんざらでもないなと、一人ごちている自分です。
利き手ではなくても書けば良いんだ、と思い、すんなりタイトル用に書いてしまいました。