夏の夜の八坂神社で授かった、不思議な箴言
こんばんは。鳴海 碧(なるうみ・あお)です。
本日は、ずいぶん昔に京都で経験したことについて書いてみたいと思います。
今思い出しても「なぜ、あんな時間に、あんな場所で?」と不思議に思う出来事です…
あれは、四半世紀ほど前の夏の夜のことだ。
九州の大学生だった私は観光で京都を訪れ、夜行バスの出発時刻までただ一人、八坂神社で時間を潰していた。
当時の私は恋愛や人間関係に行き詰まり、かなり深刻な煩悶を抱えて鬱々としていた。
◆
人影もなくひっそりと静まり返った八坂神社の絵馬堂で、薄明かりを頼りに奉納額を眺めていると、突然、後ろから声をかけられた。
振り返ると、少し離れた白砂の上に、白いワイシャツと黒いスラックスを身につけた、総白髪の小柄な老紳士が立っていた。歳の頃は七十といったところだろうか。すっきりと背筋を伸ばし、知的で上品な雰囲気だ。
老紳士は、十メートルほど向こうの立木を指差すと、初対面の私に対していきなり、「あそこの葉っぱを1枚取ってきて」と言った。
私は不思議に思いながらも、その立木までテクテクと歩き、葉っぱを1枚ちぎって戻って来ると、老紳士に手渡した。
すると……
老紳士はその葉っぱを地面にペッと投げ捨てて、なんと、こう言い放ったのだ。
「僕は葉っぱが欲しかったんやない。君の歩き方を見たかったんや。…君、処女やろ」
初対面の男性からそんなことを言われた怒りや警戒心よりも、事実を言い当てられた驚きと好奇心の方が勝り、私は思わず感嘆の声を上げた。
「ええー!すごい!なんでわかったんですか?」
「歩いてる後ろ姿を見ればわかる」
そう言うと老紳士は、門前の大階段へと私をいざなった。私は素直に従い、老紳士と並んで腰を下ろした。
◆
「僕は離婚の相談みたいなことを仕事にしてる。これまでも、いろんな男女関係を数えきれんほど見てきた。せやから、相手の顔を見るだけで、どんな人間なんかが大抵わかるんや」
そして、老紳士は私の顔をまじまじと見て言った。
「君は、男を食い殺す女の顔をしてる。君みたいな女にひっかかって不幸になった男を、僕はたくさん見てきた」
何度も書くが、この老紳士とは初対面である。
初めて言葉を交わしてから、まだ十分程度である。
のっけからのこの言葉に、私はかなり面食らった。
老紳士は続けた。
「君は、完璧主義者で臆病者やろ。そして潔癖症と来てる。そやから、これまで色んな男から求められたのに拒んできたんやな?」
「そ、そんな全然モテてませんけど…」
「いいや。君はモテてきたはずや。君はそういうことに気がつかへん純粋な女なんや。けどな、純粋にばかりしてたら、自分のことも周りのことも傷つけるもんや。それが君の厄介なところなんや」
◆
そして老紳士は、一方的に、こうアドバイスをした。
⚫︎もっとバカなふりをしなさい。その方が人間関係が上手くいく。君が優秀なことは黙っててもわかるから、虚勢を張る必要はない。
⚫︎勇気を持って一歩前に出なさい。君は何があっても必ず八十歳まで生きるから、怖がる必要はない。
⚫︎君は男を食い殺す恐ろしい女だから、結婚はしない方がいい。結婚などしなくても、一生男に不自由しないから心配ない。でも、どうしても結婚したいなら、父親くらい年上の、何事にも動じない、うんと大人の男性を相手に選びなさい。
そう言うと、老紳士は立ち上がった。そして、私を見下ろして言った。
「実は僕は、君を抱きたいと思って声をかけた。せやけど、君は男を食い殺す女やから、我慢することにする」
老紳士はくるりと背を向けて立ち去ろうとした。
だが、しばらく行ったところでもう一度、こちらに向き直った。
「やっぱり君をこれからどこかに連れて行きたい。せやけど僕はまだ死にたくない。ああ、ほんまに残念や…」
おじいちゃんなのに、そんな冗談を言って…
私は笑って手を振りながら、その老紳士が京都の街に消えていくのを見送った。
◆
夏休みが終わり、この出来事を悪友に話すと、彼女たちは大笑いしながら言った。
「なあん、ただのナンパやったっちゃないと?ついてったげれば良かったとに」
「そげん時間に女の子が一人でおったら、そりゃ声かけてみんばと思うに決まっとろうもん」
「いや、そげんエロジジイな感じでもなかったっちゃけどね…」
そう言って私は苦笑いをした。
◆
以降、折にふれて老紳士のアドバイスを思い出しては、「バカなフリをしろ」「一歩前へ出ろ」「うんと大人の男を探せ」と、自分に言ってきたのだが……
ふと思う。
あの老紳士は、何のつもりでわざわざ私に声をかけたのだろう。まさか、本当にナンパした訳ではあるまい。
ただの暇つぶしか。
若い女の子と話をしたかったのか。
それとも、あの時の私は、放っておけないほど思い詰めた顔をしていたのか…。
そもそも…
夜更けの人気ない八坂神社で、あんなきちんとした身なりをして、老紳士は一体、何をしていたのだろうか。
あの老紳士は、果たして生身の人間だったのだろうか。
途中、通りかかった西洋人がこちらにカメラを向けていたが、老紳士の姿はちゃんと写っていただろうか。
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【記事アップ後の追記】
私はその老紳士の言葉を素直に信じ、今でも自分によく言い聞かせている。
結婚相手は「父親ほど年上」ではないが、何事にも動じない(精神的に)大人な男性を選んだつもり。
結果、人生が結構うまくいっているように思うのだが…
四半世紀経った今、顧みて、なぜあの箴言を私が素直に受け入れたのかは、自分でも謎だ。
人の言葉の影響を受ける方ではあるが、例えば、朝のニュースで繰り広げられる星占いランキングなどはまるで信じないし、細木数子の四柱推命なども、チラ見だけですぐに忘れる。
私はあの時…老紳士がわざわざ私に声をかけ、時間を割いて箴言を与えてくれたことが嬉しかったのかもしれない。たった一人で悩んでいる心細さを、あの老紳士がそっと支えてくれたように感じたのかもしれない。
だから、人生の大先輩からの貴重な忠告として、心に留めることができたのだろう。
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