
子どもたちの言葉が教えてくれる「未来の楽しみ」
子どもたちの何気ない一言。それには、未来の楽しみがぎゅぎゅっと詰め込まれている。
この間、第一子ちゃんが「かきごおり屋さん、いきたい!」と話してくれたのがまさに未来の楽しみだった。
クリスマスに向けて願い事を聞いたのに、来年の夏の楽しみを話し出すとは。それでも、「今」の第一子ちゃんの願いは、かき氷なんだとか。
大人は年末を前にして、師走という言葉どおりで右往左往と忙しくしている。未来の希望というより、目先のto do listとお友だち。だから、クリスマスのお願い事を聞かれても、瞬発力高く返すことはできなかったりする。
ても、子どもたちはちがう。
夏祭りで一緒に食べたかき氷、水族館に来ていたキッチントラックのかき氷、はたまた茨城の祖父母宅で食べたかき氷のどれを思い返しているのかはわからないけど、きらきらした思い出を胸に「また行きたい」「また食べたい」という未来を見ている。
第一子ちゃんの言葉で、私の来年の楽しみまで増えた。
来年の夏は、家族みんなでかき氷を食べよう。お祭りやプールの後、旅先でもいい。冷たくて甘いかき氷を食べながら、第一子ちゃんの2024年12月の夢を叶えるのだ。もしかしたら、第一子ちゃんは覚えていないかもしれない。それでも、私の心があたたかくなるイベントにきっとなる。絶対になる。
子どもたちの言葉がくれる未来へのエネルギーをひしひしと感じる。
子どもたちのこうした小さな言葉には、すべて未来へのベクトルが向いている。
大人になると、どうしても過去を振り返ったり、今のことで手一杯になったり、未来のことも打算的になりがち。そんな自分をちょっぴり反省しながら、子どもたちの未来への推進力に憧れのような尊敬のような気持ちを抱いている。
ああ、2025年の夏が待ち遠しい。
子どもたちの言葉を聞くまでは、正直、未来に希望を持つ余裕がなかった。不安のほうが圧倒的に大きかった。
でも、子どもたちの言葉に支えられて、私は来年が、来年の夏が、具体的なイメージ像を持って楽しみになっている。
真っ白なスケジュール帳に、家族の予定を書く緑色の文字が増えていく。増えるたびに、未来の色が明るくなる。
大きなイベントがなくても、旅行に行けなかったとしても、また子どもたちが入院することになっても、病気になったとしても、何度でもきっと未来は明るい色に染められる。
2025年の夏、家族でかきごおりを食べるその日が今からめちゃめちゃ楽しみ。
子どもたちの純粋できれいな言葉に救われながら、未来への小さな希望を胸に、今日も明日も一歩ずつ進んでいこうと思う。
明日もいい1日になりますように。
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